なんでもよし。

最早、何でも良い。

瞑想とグリーンマン

こんにちは、Space-radです。

 

毎日ではありませんが、ここ数週間の間にかなり頻繁に瞑想をしています。

多い時で日に2回はやっています。

 

お寺に瞑想を習いに行った際、あまり真面目に瞑想をやりすぎないように

助言をいただきました。

理由は、私はどうやら「入りやすい」タイプの人間らしく、

ただ目を閉じて数回深呼吸をする程度でもよいようです。

 

勿論、これは個人差がありますので、上記の内容が全ての人には当てはまりません。

副作用などもありますので、気が乗らなかったり、途中で違和感を感じたら、

すぐに止めた方がよいでしょう。

 

あまり難しく考えず、気楽にやるのが一番いいように思います。

 

 

 

私の場合、瞑想をする時は、大抵日常の生活の中で何か不安や心配、

気になる事があった時にやっています。

 

先日も、職場で愚痴っぽくなってしまい、

「ああ、またやってしまったな」と思いつつも、

「なぜ、愚痴っぽくなってしまったのだろう?」と瞑想してみました。

 

そうしましたら、瞑想を始めてすぐに、

明るい黄緑色のイメージが頭に広がっていきました。

「今日は黄緑の日か…」と思い、ぼーっとしていると、

それはそのままグリーンマンになってしまいました。

 

こんな感じですね。

 

f:id:space-rad:20201107212904p:plain

 

「何だこれは」と思いながらも、なぜ愚痴っぽくなってしまったのかと、

瞑想を続けていましたら、グリーンマンの足元から清流が湧き出て、

それは小さな泉になりました。

そして、泉の周囲から様々な草花や木々が萌芽し、

あっという間に森になってしまいました。

 

瞑想はそれで終わりです。

 

 

 

全く意味が分からなかったのですが、たまたまある人とこの瞑想について

話をする機会がありました。

 

この手の話は、あまりスピリチュアル一辺倒に傾きすぎている人とすると、

大地からのメッセージだの、ナントカ神様からのお告げだの、

明後日の方に話が飛んでいってしまいがちなのですが、

その時たまたま私が話した方は同業者だったので、

私のよく分からない話をとても上手に聴いていただけました。

 

そのグリーンマンというのは結局何だったのか?というと、

人から雇われる環境は今の自分に合っていない、だから愚痴っぽくなってしまう、

もっと何かを造ったり、育てたりするような仕事にシフトしたい、

という無意識の欲求が、そういうイメージを見せてきたのではないか、

という結論に着地しました。

 

しかし、話はそこで終わりませんでした。

 

このグリーンマンの泉、というのは、瞑想の中での私のイメージでは、

森を作ろうとして湧き出てきたのではない、ということです。

最初から意図して「森を作る」つもりで泉が湧き出してきたのではなく、

自然と湧き出してきただけなのです。

その結果、泉の周りに森や生物が生息していったというだけのことです。

 

 

 

要するに、これから物凄い努力をして何かを勉強したり、

資格を取りに行ったりするのではなく、

今まで自分が培ってきた技術や知識、経験を元にして、

新しい事に取り組んでいってはどうか?という話になりました。

 

看護学校の教員や訪問看護ステーションの立ち上げなども進められたのですが、

どうもいまいちそういう気にはなれません。

 

グリーンマンの泉はあくまでも「自然と湧き出てきたもの」なので、

私にできることで、仕事になることを

もう少し今の仕事を続けながら模索していきたいと思います。

 

 

 

それにしても、意外な結果となりました。