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感性の違う人にどう接するか。

こんにちは、Space-radです。

 

ネット上での人付き合いはほぼないに等しい私ですが、

そんな私でも他人のブログ記事やSNS上での様々な書きこみを見る上で

とても大事にしている事がひとつあります。

 

それは、「嫌なら見ないはやったもん勝ち」です。

 

 

 

当たり前の話ですが、ネットに限らず現実世界においても、

自分と考えや感性の違う人間がいます。

その中には、到底受け入れられない、許しがたい、こんな人だと思わなかった、

などのネガティブなイメージを抱く事も多々あります。

 

殊にネット上では相手と対面で話しているわけではないので、

どのような意図でその話をしたのか?という細かいニュアンスが伝わらず、

誤解されたりしたり、という事が日常的に起こります。

 

ですが、私はそれでいいんじゃないの?と思うのです。

 

これはごく個人的な意見です。

瞑想をするようになってから、

私は「自分が本当は何を感じていて、何を欲しているのか?」を、

自分自身が理解することが最も大事な事だと感じるようになりました。

 

そうすると、ネット上で他人が自分の意見をどう解釈したか?とか、

どう曲解したか?とか、どう誤解したか?なんてどうでもよくないか?と

思ってしまった事があるのです。

 

そもそも私もいちいち全部言語化してませんし、できません。

それを他人に正しく理解せよ、というのは横暴です。

 

現実世界においては、できるだけ自分の思いや感情が

より正確に伝わるように努力しますが、

それでも100%は絶対にないと思っています。

 

半分伝わればラッキー、8割伝われば奇跡、くらいに思っています。

 

 

 

これも私のごくごく個人的な意見なのですが、

結局、人間社会は大いなる誤解の上に成り立っているのではないでしょうか。

 

人はどんなに正確に表現したとしても、

曲解したい人は曲解するし、誤解したい人は誤解したいのです。

だったら、それでいいではありませんか?

 

そのような人たちとは適度に距離を置いて、

現実世界をより充実させた方がよくないですか?

 

 

 

これは、別に私が人間に絶望したとかいう単純な話ではなく、

私自身もまた他人を正しく理解するなどという偉業は成せない、

と思っているからです。

 

だから、「受け入れられない、思ってたのと違った」と感じたら、

できるだけ早くそこから離れます。

 

悪態をついたり愚痴を言ったりしたかったら、

ひとまず信用できる現実世界の誰かに聞いてもらって、

後はもう見ない事です。

 

 

ネット上において、それが一番平和に過ごせるこつのような気がします。