なんでもよし。

最早、何でも良い。

瞑想:左右の特性について。

こんにちは、Space-radです。

 

ここ最近、瞑想をするたびにずっと身体感覚の左右の違いが出てきていたのですが、

今日はそこをもう少し詰めた内容となっています。

 

 

 

10日程前、新しい人と一緒に仕事をやったら、

終わる頃には左側の激しい頭痛、肩と首の凝り、目の奥の痛みが出た。

右側には痛みや疲れは一切出なかった。

その人と離れ、自宅で夕食と入浴を済ませ、

軽いストレッチや瞑想をした後には、痛みや疲れは嘘のようになくなった。

新しい人は、他人の愚痴や悪口が多い人だったので、

そこに適当に合わせて、相槌を打っていたのが原因だと思われた。

 

その日の瞑想では、左のお腹から強い怒りを感じた。

何に対する怒りなのか探ろうとしたが、怒りの感情が強すぎて、

理由までは分からなかった。

重力や重さは特に感じなかった。

しかし、気が済むまで左側のお腹の怒りを感じ切ると、

ものすごくすっきりした。

 

そこから数日後、また同じ人と一緒に仕事をした。

以前程ではないが、やはり左の頭痛、肩と首の凝り、目の奥の痛みが出た。

帰宅後、瞑想をしてみると、左のお腹と心が苛々していた。

無駄話(悪口や愚痴、噂話)をすることで、

自分のペースで仕事ができない事への他人へのいら立ちと、

それをどう表現していいか分からない自分へのいら立ちを感じた。

 

 

 

また、翌日には違う人と一緒に仕事をしたが、

この人もまた他人への愚痴や悪口が多い人だった。

しかし、この人とは一緒に仕事をしていても、一向に疲れなかった。

愚痴や悪口は多いが、仕事への取り組み方や動き方、速度が私と似ており、

お互い苦手な分野が異なっているため、不得意な部分は相手に任せることができた。

仕事と休憩時間のメリハリはしっかり付くので、

合間に相手の愚痴や悪口を聞くのは、さほど苦ではなかった。

 

新しい人は、愚痴や悪口が多い割には手が進まず、

仕事への意欲もあまり高くはなく、何事も人任せでその日暮らしである。

ただ、指示出しをすれば、それなりに仕事はできるので、

特に私が一人で仕事を抱え込んで、疲れ果てる事態に陥ることはない。

ただ、メリハリがなく、常にだらだらとしている印象を受けた。

 

 

 

昨日の瞑想にて、とにかく自分はメリハリがない生活や人間関係、

自分のペースを狂わされるのが、とても嫌なのだと感じた。

ここが、私が生粋の関西人でありながら、「関西人らしくない」と、

しばしば言われてしまう所以である。

だらだらと他人と一緒に過ごすくらいなら、一人で寝てる方がマシだ、

とつい思ってしまうのである。

 

 

 

本日の瞑想にて、左右の特性について、というテーマが勝手に出てきた。

左=外側の刺激に対して過敏に、速いスピードでそれを取り込むが、

  反応を出すのが不得意。

  論理的で思考や情報処理が速い反面、感情的に重く受け止める、という癖がある。

  他人が傍に来ると、緊張状態になる。

右=外側の刺激に対して、全く何の反応もなく、

  「ああ、そうなの、ふ~ん」程度の感想で終わる事が圧倒的に多い。

  他人が傍に来ても気にならないが、誰もいなくても気にならない。

  ただし、面倒くさいと感じたら、一切関わらない。

 

右側に関しては、普段あまり意識することが少ないので、

この右側をもっと意識化させることができれば、もっとバランスが取れて、

左だけが疲れる、という事態は減るのではないか、と考えた。