なんでもよし。

最早、何でも良い。

ホロスコープ(宇宙)外における、空間の広がりについて。

やたらと大袈裟なタイトルになりましたが、

残念ながら、大した事は書けませんのでご了承ください。

 

先日、ホロスコープについて、

これは、結局、どのように見るのが一番よいのだろうか?と

あれこれ考えていました。

 

そこで色々思いついた事を書いていきますが、ここでは、

所謂、黄道がどうしたとか春分点がこうした、という事は書きません。

 

 

 

絶対唯一神を頂とする、

キリスト教という非常に西洋的な視点に基づいて作られた、

このホロスコープというものを、日本人はどの程度理解することが

可能なのでしょうか?

 

日本で、キリスト教のように「唯一絶対の神」を信仰する個人や団体、

というのを、私はあまり見かけた事がありません。

 

日本神話にも「国生みの神」は存在しますが、

キリスト教の様に「完全無比な絶対神がたったひとりで創った」と考えるのに反し、

国生みの神は複数存在します。

 

また、キリスト教では神は手ずから世界を創っていますが、

日本神話では、イザナギイザナミに外注しています。

 

日本神話的な概念を以てして、ホロスコープを見るのと、

キリスト教的な概念を以てして、ホロスコープを見るのとでは、

その内容が大きく変化しているのではないでしょうか?

 

日本神話的な概念でホロスコープを見ると、それは、

「複数の神の視点」から宇宙を見る事になるので、

ホロスコープ(宇宙)外にも、何かしらの空間の広がりを感じます。

 

しかし、キリスト教では、世界を創ったのは、

たったひとりの完璧な神なので、ホロスコープ(宇宙)外には、

空間の広がりを感じません。

 

もっと乱暴にいえば、唯一絶対神の脳内で、全てが完結しているのが、

キリスト教の世界観なのではないでしょうか?

(最近は、その概念も崩れつつあるようですが)

 

 

 

では、ホロスコープ(宇宙)とは、結局、何なのでしょうか?

 

神がたったひとりで創り上げたこの世界は、

キリスト教文明においては)人間にとっては「完璧」です。

 

という事は、その惑星の配置やバランスも、

絶対神の目」から見れば、過不足なく完全、という事になります。

 

ただし、「複数の神の目」から見ると、どのように映るのでしょうか?

 

この辺りの違いが、ホロスコープの解釈の違いにも、

繋がっているのかもしれませんね。