なんでもよし。

最早、何でも良い。

西洋占星術における、絶対神の視点。

数日前、「中絶する権利」の凡例を、

アメリカ連邦最高裁判所が覆す見通しである、というニュースを見ました。

 

日本に住んでいる私としては、「そんなに全部白黒つけてしまわずに、

とりあえず、そういう法律も置いとけば」などと思うのですが、

これを決定しようとしている団体というのは、一体どういう人たちなのでしょうか。

 

 

 

ところで、西洋占星術ホロスコープというのは、

なぜあのような形や区切り方をしているのでしょうか。

 

室がどうとか、アセンダントがどうした、とか、

果ては星はないけど、感受点がどうのこうの、と言い出す始末です。

 

一人の人間が、この地上に出生しようとする時、

ホロスコープは、一体何を表しているのでしょうか?

 

例えば、日本は多神教と仏教の国なので、

人間が生まれもった運命だとか素質だとかは、

それは大自然が祝福をもって与えてくれたものだと、

考えるのが一般的でしょう。

 

つまり、人間を創るのは、水の流れや空気の動き、

木の枝から何かが落ちる、といったこの世界の法則性に導かれて、

誕生してきたもの、或いは、

サイコロを振る「誰か」がいるのではなく、自然偶発的にサイコロが振られ、

ホロスコープという形が結果的に「できあがった」とする考え方です。

 

しかし、西洋占星術、即ちキリスト教では、そのような考え方をしません。

 

人間がこの世に生まれてくるには、

絶対神が一人の人間を「生み出そう」という意志を持たねばなりません。

 

その意思の元にサイコロが振られ、ホロスコープという形は、

自然偶発的に描かれたものではなく、

絶対神が、意思を持って描いたもの」という考えが

根底にあるのではないでしょうか。

 

そうなると、このホロスコープを読み解くという作業は、

一人の人間を通して、「唯一絶対の我らが神」の存在を感じる瞬間、

という事になるのでしょうか。

 

 

 

何にせよ、キリスト教文化圏に馴染みのない私には、

理解しかねる考え方ではあります。

 

しかし、キリスト教国家のアイデンティティがかかっている、

と考えれば、この「中絶を廃止すべし」という意見は、

そんなに突飛な考えではないのかもしれません。