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自立についての瞑想

こんにちは、Space-radです。

 

今日の朝の瞑想の書き起こしです。

 

 

 

10/11朝

テーマ:職場の人間関係が自立的でない

 

半分寝ぼけながらの瞑想。

表現力と自己信頼が大事なのだと感じた。

 

自分に自信がないから誰かに頼りたい、正しいと認めてほしい、

黙って自分の話を聞いてくれる人がほしい、という執着が職場全体にある。

しかし、その逆に他人の話を上手に聞けない人が多い。

入居者さんが可哀そう、自分は一生懸命やっている、という感情論で話したがる。

 

高圧的に話せば、表面上はみんなその人の言う事を聞くが、

心から従う人はいない。

その逆で、どんなに親切そうに上品な言葉を並べた所で、

心がこもってなければ通じない。

何を発言したか?ではなく、何をしたか?を見るべき。

アメリカのトランプ氏がよい例。

(高圧的な発言に注目するのではなく、何をしたかを問え)

 

自信がないが故に頼られたい心と、自信がないが故に頼りたい心が、

お互いに引き合っているだけ。

立場が違えば、価値観や仕事の進め方が異なるのは当然だが、

お互いにそこを理解できていないし、理解しようとしない。

風通しのよい、広い世界を知らない人たちが集まっているだけ。

結局は、表面上でべたべたくっついているだけの集団。

 

感情的になるのは、自分の正しさを証明したい気持ちの表れではないか?

自分の気持ちを言語化する術を知らない。

なぜ、そう思ったのか?考えたのか?という思考の基盤が自分の中にない。

だから、外部の人間(家族や往診に来てくれる医師など)と、

自分で連絡しようとしない。

揉めそうな事は全てケアマネや相談員、看護師や上司に押し付ける。

外部の人間(価値観や立場の全く異なる人間)と、

対等に話し合う努力をしようとしない。

専門職として、自分はどんな仕事を展開していきたいか?を他人に説明できない。

だから、意見のすり合わせもできない。

「私はこういうスタンスで仕事をしていきます」という表明がなければ、

誰もそこにはついて来ない。

 

馬鹿にされたくはないが、頭を使う面倒な仕事もしたくない。

だから、精一杯虚勢を張って、他人の仕事をかき回す。

文句や愚痴を言いながらも、それも全て、自分で選んだこと。

 

自立するかどうかは、一人一人が自分の頭で考えるべきこと。

話したところで聞く耳はない。

なぜなら、自立しない方が都合がよいから。

だから、自分の身は自分で守れ。

いずれここは潰れていく場所。

いつでも離れられるよう準備だけはしておくこと。