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人間関係に依存しない働き方

こんにちは、Space-radです。

 

YoutubeのおすすめにパペポTVが出てきました。

昔、よく見ていたので懐かしく思い、立て続けに何本か動画を見ていたら、

上岡龍太郎氏が以下のような発言をされました。

 

「衣食住に困らない生活ができれば、首相は金正日でもいいんですよ。」

 

確かにその通りです。

目から鱗が落ちました。

 

 

国民が飢えず(失業せず)、文化や芸術を享受でき、

言論や表現の自由が認められ、平和な国家を運営できれば、

国のトップはバイデン氏でもトランプ氏でも、極論をいえばヒットラーでも

構わないわけです。

 

ヒットラー金正日の何が駄目だったかといえば、

特定の人種や嗜好を持つ人たちを虐殺したり、

経済政策の失敗で、国民を飢えさせ、閉鎖的で弾圧的な政治を行ったからです。

 

彼らが真逆の政策を取っていれば、

今日に至るまで、悪名高い独裁者として名を馳せることもなかったでしょう。

 

右であろうが、左であろうが、衣食住と表現の自由と平和が約束されるならば、

思想や主義、イデオロギーなんて、もうどうだっていいんじゃないの?と、

感じてしまいました。

 

 

 

そんなことをぼんやりと考えた後に、仕事をしていると、

ふとこんな事が頭をよぎりました。

 

「よい首相(大統領)が治める平和な国に住みたい」と

「よい社長が経営している平和な会社に勤めたい」は、何が違うんだろう?と。

 

「条件がよくても、人間関係が悪ければ、長くは働けない」とは、

よく聞かれる言葉であり、また私自身もそう思っていました。

 

しかし、改めて「よい人間関係」とは一体何か?と考えると、

私はとんでもない思い違いをしていたのではないかと気付いたのです。

 

私がこのブログ上で上げた、「よい国家の条件」とは、

「飢えない(失業しない)」「表現や言論の自由がある」「平和」ですが、

これを無理やり職場の環境に当てはめてみると、どうでしょうか?

 

「労働に見合った賃金が支払われる」

「年代や職種に関係なく自由に発言し仕事ができる」

「上下関係を利用した明らかに不利な差別がない」

 

この条件が揃った企業って、日本国内にどれだけ存在するのでしょうか?

逆に、人間関係がものすごくぎくしゃくしていても、

上記の条件を全て揃えた職場で働きたいと思いますか?

 

たとえば、職場の先輩や上司と意見が合わず対立しても、

お互いに意見の応酬が自由にできる環境であるならば、

それは「よい人間関係」といえるのでしょうか?

 

「雇われる側」は、給与面や通勤エリア、

労働時間や職種などを選択することは可能ですが、

「人間関係の相性」だけは選択できません。

 

仮に、今の人間関係がすごく良くても、何十年もの間、

同じメンバーで働き続けることは不可能です。

毎年毎年、退職者(円満であれ、中途であれ)は出ますし、

新しく入ってくる人材もいます。

栄転や異動だってあるでしょう。

 

その選択できない「人間関係」に執着し依存した所で、一体何になるのでしょうか。

 

 

 

「年代や職種に関係なく自由に発言し仕事ができる」ためには、

同等の知識や経験が必要だと思います。

 

たとえば、私達は「日本語」という言語を学校で学習し、その知識を応用して、

他人とコミュニケーションを図ったり、情報共有が可能となります。

 

しかし、「日本語」の知識を習得していない人とは、

大雑把なコミュニケーションはジェスチャ―で何とかなっても、

仕事や専門分野での話し合いは困難を極めます。

 

どの仕事においても、「最低限理解しておかなければならない専門用語」は

存在します。

しかし、中にはその「共通言語」への理解への深度が非常に浅い人、

というのが存在します。

 

たとえば少し汚い話ですが、

ある入居者さんの便秘がひどいと言って、介護スタッフから連絡があり、

実際に入居者さんの様子を見て、医師の指示のもと、下剤を与薬したとします。

しかし、便秘がひどければひどい程、より強めの下剤を与薬することになりますので、

今度は逆に下痢になるというパターンがよくあります。

 

そうしますと、「今すぐ下痢を止めてください!」と

食い下がってくる介護スタッフが一定数います。

 

お腹の状態(張り具合、音、痛みの程度や持続時間)、食欲の有無、

水分摂取量、消化器系の疾患の有無、

老年期(あるいはその人個人の)特有の排泄リズム、

お尻の皮膚の状態(ただれてないか)、

などを総合的に考えて話し合っていくべきなのですが、

介護スタッフとの間では、大概そういう話し合いは困難を極めます。

 

 

これは、私と介護スタッフさんとの間で、

「疾病」「解剖生理」「老年期の特徴」という共通言語が共有できてないため、

このような現象が起きてしまうのだと思うのです。

 

そして、このような事象は割とどこにでもあることなのではないか、と思ったのです。

 

 

 

 

 さて、ここまで書いてきて、結論まで一気に書き上げようと思ったのですが、

上手く結をつける事が、どうしてもできません。

 

これは、一旦保留にして、また新たに何か思いつくことがあれば、

書き進めていきたいと思います。