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幽霊に感情はあるか?

こんにちは、Space-radです。

 

 前回の記事では、「自分(我)」があるから、執着や苦しみが生まれるのではないか、

と書きました。

dragon-cosmos.hatenablog.com

 

では、私達の内側にあるもの、自我、自分、私と呼んでいるものは一体何なのか?

について、もう少し掘り下げて書いていきたいと思います。

 

病院で仕事をしていると、度々以下のような話を聞きます。

 

「あの病室には幽霊が出る。」

 

病院で働き始めた内こそは、私も何となく嫌な気持ちになっていたのですが、

実際に自分が夜勤をするようになると、こんな風に思うようになりました。

 

「幽霊にかまっている暇なんかあるか!」

 

特に私が最初に働いた病院は、数十年前に初代院長が自殺した、

という不気味な噂のある病院でしたが、「怖い」と思うような暇はありませんでした。

 

 

 

ところで、この「幽霊」という存在ですが、

どうやら一般的には、水辺や電気のある所、鏡や無念の内に亡くなった人がいる場所、

などによく出没するようです。

 

私は幽霊を見たことがないので、実際、彼らがどういう条件で出没するのか、

実際に存在するのか、存在するとしたらどういう物質でできているのか?は、

さっぱり分かりません。

 

ただ、この世に何らかの未練を持ち、成仏できていない状態だとは、

よく見聞きします。

 

水辺、電気、鏡、無念や未練という感情。

 

これらの単語から、私がひとつ連想したものがあります。

それは「肉体」です。

 

人間の体は約60%が水分です。

脳細胞には電気的信号が流れ、人は絶えず思考や情報処理を行っています。

鏡は自分自身の肉体を映し出し、私達は普段、これを見て身だしなみを整えます。

 

 

 

そして、感情。

 

ここから、ずいぶんマニアックというか、おかしな話になります。

まず、幽霊がいる、と仮定した上での話となりますので、ご了承ください。

 

たとえば、目の前で知らない人から悪口を言われた時、

私達生きている人間は、視覚と聴覚(目と耳)という肉体の感覚器官を使い、

言葉を聞き相手を視覚で捉えます。

そして、その感覚器官から脳へと刺激が伝わり、脳は電気的信号を使って、

目の前で起きている事象を思考、または情報処理を行います。

 

その結果として、怒りや悲しみの感情が湧きます。

外側で起きた事象に対して、肉体の感覚器官を使い、それを脳で処理し、

最後に「感じる」という内側の反応が起こります。

 

「感じる」のは内側からです。

トリガーは外側にありますが、肉体で「知覚」した後に、

脳で「処理」され、その後に始めて何らかの感情や意味付けが内側で生じます。

 

しかし、肉体を持たない幽霊の場合はどうなんでしょうか?

 

目の前で悪口を言われても、彼らは肉体を持たないので、

理論上は、聞こえていないし見えていないという事になります。

 

私が聞いたり見たりした話ですと、幽霊というのは自分が死んだ瞬間の感情を

ずっと持ち続けているらしいです。

という事は、死んでから後、

外側からの刺激によって彼らの感情は一切更新されることはなく、

死んだその時の感情だけをずっと抱えたまま、彷徨っているという理屈になります。

 

ですが、ネット上でこういう話も見ました。

鏡を見たら、幽霊が写っていたので、コマネチのポーズをしながら、

びっくりするほどユートピア!」と叫び続けたら、その幽霊は驚いて逃げた、

という話です。

ネット上での話なので、嘘か本当かは分かりませんが、

もしこれが本当だとしたら、幽霊は何らかの手段を用い、

外界の事象を知覚・処理した後に感情や意味付けを内側で行ったと

考えられます。

これが本当ならば、

幽霊とのコミュニケーションはある程度可能、という事になります。

 

 

 

それでは、肉体が滅んだあと、内側にある感情や意味付けを行う「何か」は、

どうなるのでしょうか?

幽霊という存在があるとしたならば、その内側の「何か」が

むき出しになっている状態ということになるのでしょうか?

 

だから、かつて所持していた「肉体」を連想させるものー水や電気ー

といったものに魅かれるのでしょうか?

 

しかし、幽霊という存在にならない人間は、どう説明するのでしょうか?

 

幽霊にならなかった人は天国に行った人たちなのでしょうか?

では、天国に行った人と幽霊になった人との違いは?

 

この世に恨みや未練を残したかどうかで決まるのでしょうか?

 

生きている間、私たちの肉体の中には、外界に反応して何らかの感情や意味付けを

行う「何か」があるのは確かなようですが、

死んだらその「何か」はどうなってしまうのでしょう?

 

 

 

それも消えてなくなるのでしょうか?

だとしたら、それはそれで何だか嫌なだなあ、という気もするのです。