なんでもよし。

最早、何でも良い。

聖なるものは、俗なるものに通ず。

ある時、私はふと思ったのですが、あの「幽霊」と呼ばれている存在は、

一体何なのでしょうか?

 

人間が死んだ後にどうなるのかなんて、誰にも分からない事ですが、

それにしても肉体が亡くなった後も、何十年も、

場合によっては何百年も、生きている人間に何らかの影響を及ぼしたい、

と地上に留まり続けるという行為は、傍から見ていると、

ただの暇人にしか見えないのは、気のせいでしょうか?

 

 

 

高野山から下山して、改めて、色々と調べてみましたら、

随分たくさんの埃が出てきました。

 

sdrr12de111.seesaa.net

 

私が高野山で遭遇した、幽霊らしき存在というのは、

「死んで、この世に未練がある」というよりは、

「死んではないけど(或いは死んで尚も)、物欲センサー

がんがんにフル回転に稼働しすぎて、髪の毛一本、見逃さないぞ!!」

という雰囲気を感じました。

 

そこで、弘法大師の教えというのは、そもそも何だったのか?

と疑問に思い、少し調べてみました。

 

 

 

簡単にいうと、

弘法大師は、人間の欲を否定せず、大欲をもって小欲を制すべし、

と説いています。

 

www.kurusonzan.or.jp

 

私は、この大欲をもって小欲を制すべし、と見た時、

「一万円が欲しい、なんて小さい事言わずに、100万円という大欲をもて」

という字面が、自動的に頭の中を駆け抜けていきました。

 

勿論、これは誤った解釈です。

 

ここでいう大欲とは、言い換えれば「志」とか「目的」に

近いものだと私は解釈しました。

 

 

 

10年程前の話ですが、友人と、一兆円あったら何に使うか?

という話題になり、その場では話に花が咲いたのですが、

一人になってみると、果たして本当に自分は一兆円欲しいのか?

と妙に冷静になった事があります。

 

なぜかというと、そのみんなで話した一兆円の使い道が、

結局は自分の欲求を満たすため、だとか、将来に備えて貯蓄する、

だとかいう所に落ち着いたからです。

 

そして、その時に思ったのです。

 

これじゃ、私の所に一兆円なんて、絶対に入らないよな、と。

 

そもそも、一兆円が必要な場面とは、どんな時でしょうか?

 

例えば、必要な地域に病院や学校を建てる、だとか、

美術館や劇場を建てて地域の文化交流に貢献したい、だとか、

災害や貧困に苦しんでいる国のインフラを整備したい、だとか、

そんな規模だと思うのです。

 

要するに、たかだが一個人の欲求を満たすだけなら、

一兆円も必要ない、という事になるのではないか、と感じたのです。

 

高野山や現在の資本主義がもう駄目だ、と言われてしまう所以は、

個人個人が大欲を持ち、利他的に働きかけて、よりよい社会を築こう

という意識が消失しつつあり、

無数の個人の小欲が幾重にも重なり合った状態で、消費社会という歪みを

生んでいるに過ぎないからではないでしょうか。

 

 

 

しかし、そうはいっても、高野山で動いているお金の額というのは、

桁違いです。

 

永代供養で軽く100億円は儲けたといわれており、

資産運用に失敗して、約7億という損失を出しています。

 

小欲が幾重にも折り重なった、いびつな欲得であっても、

数が異常に多ければ、これ程までの金額を叩き出す事が可能なのです。

 

実際、高度経済成長を支えたのは、物がない時代の人々の、

「お腹一杯食べたい、快適な住居がほしい」という強烈な欲求です。

 

ですので、生まれた時から物が溢れていた団塊ジュニア世代は、

この欲の力が弱くなっている傾向があるのかもしれません。

 

 

 

この時代において、自己実現をしよう、という大欲を抱くなら、

「自分の欲」を絶妙なバランスでコントロールする精神力と知恵が、

必須条件となってくるのかもしれません。