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結局、仏教に戻ってきた話

こんにちは、Space-radです。

 

私が瞑想を知るきっかけになったのは、今から1年程前の話で、

入り口はいわゆるキラキラスピリチュアルでした。

 

しかし、結局はなんやかんやで、近所のお寺に瞑想のやり方を

習いに行く事になりました。

 

 

私が瞑想を習いに行ったお寺のHPには、高野山真言宗とありました。

 

8年前に、人にどうしてもと誘われて、1度高野山に行ったことがあります。

高野山はとても素晴らしく、日帰りできる距離ということもあり、

行こうと思えばいつでも行けるのですが、いかんせん出不精なので、

それっきり行ってません。

 

そんな調子なので、そもそも高野山がどういう宗派なのかも、

ろくに理解していません。

当然、真言宗だ、何だ、と言われても、良く分からない有様です。

 

仏教というのは、私にとって、せいぜいお葬式やお盆に少しお世話になる、

という程度で、私にとってあまり近しい存在ではありません。

 

お墓は石川県にあるのですが、

関西在住のくせに高野山にもろくに行かない私が、

石川県に足しげく通うはずもなく、このようなご時世ですから、

10年は行っていません。

 

小さい頃は、毎年お盆に石川県に行ってましたが、

石川県、と言ってもそれはそれは辺鄙な場所にお墓があったので、

朝早くから家を出てサンダーバードに乗り、更にJRか何かに乗り継いで、

目的の駅からタクシーで1時間近く移動していました。

 

毎年、お墓の住職にお経を読んでもらっていたのですが、

ここのお寺は積極的にインターネットを使っていないため、

未だにどういう宗派なのか、よく分かりません。

 

 

 

だから、私はずっと仏教とあまり関係ない人間だと思っていました。

 

20代の頃、ひろさちや氏の本を少し読んだだけで、

それも河合隼雄氏の本を読んで、少し興味を持ったからという程度で、

特に仏教系の本を読み漁ることはありませんでした。

 

普段参拝するのも神社で、お寺に参拝することはまずありません。

 

しかし、最近ふと思い出したのです。

中学時代に平家物語源氏物語を筆頭とする、

平安~鎌倉時代の古典を読み漁っていた過去を。

 

それは中学に入ってすぐの頃、ある日借りていた本を返すために図書室に行ったとき、

隅っこの書架に「平家物語」がひっそり置かれているのを、見つけました。

 

その時になぜか、「冬休み前に、絶対にあの本を借りて読もう」と、

強烈に思ったのです。

 

そして、ものの見事に「平家物語」にハマり、それを皮切りに、

主に平安時代の古典を中心に読み漁っていました。

 

当時の私はとにかくすごい本の虫だったので、

学校の図書室と自分の住んでいる市の図書館だけでは飽き足らず、

隣の市の図書館まで利用していました。

 

その3つの図書館をぐるぐる利用しながら、何度も何度も色々な古典を

読んでいました。

 

特に好きだったのが、「平家物語」「源氏物語」「義経記」の3作品でした。

鎌倉時代の作品で記憶にあるのが、「方丈記」と「徒然草」です。

 

とくに「平家物語」は、冒頭の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり…」を

丸ごとそらんじる程度には、読み返していました。

後はなぜか、「方丈記」も割と好きだったように思います。

(冒頭のゆく河の流れは絶えずして…というのが、ぽっと頭に思い浮かんだので)

 

しかし、「源氏物語」と「義経記」、「徒然草」の冒頭は、思い出せません。

方丈記」もどんな内容だったか?というのは、完全に忘れているのですが、

なぜか冒頭のフレーズだけは頭に残っていました。

 

 

 

確か、「平家物語」も「源氏物語」も「方丈記」も

仏教色の強い作品だったように思います。

 

直接仏教の教えを説いている作品ではありませんが、

根底にある「諸行無常」という価値観は、明らかに神道とは異質なように感じます。

 

ということは、結局、ぐるっと一周回って、仏教に戻ってきた、

ということになるのでしょうかね。

 

雀百まで踊り忘れず、ということなんでしょうねえ。