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「幸福度」の高い人に「呪い」は効くか?

こんにちは、Space-radです。

 

8月の中旬辺りから朝起きられなかったり、やる気や食欲が落ちたり、

自律神経失調症がぶり返したりしていたのですが、

仕事を一人でやるようになったら、心身の状態は徐々に上向きになってきました。

 

不調の時に、ふとゲームでもやろうと思い棚を見ると、

PS版の「女神異聞録ペルソナ」に目が留まりました。

そこで、久しぶりにこのゲームで遊び始めました。

 

さて、このゲームには「ハピルマ」という、敵を幸福状態にして、

攻撃を封じる、という状態異常系の魔法があります。

また一方では「ムド」「エイハ」という、

呪いの力で敵にダメージを与える魔法もあります。

 

 

 

それでは、この2つの魔法を一体の敵に同時に使用した場合、どうなるでしょうか?

 

まず、先に書いておかなければならないのですが、

このゲームの魔法は100発100中ではありません。

弱点を突いたり、強力な魔法を使用した場合でも、外れる場合があります。

 

ですが、今回はゲーム中に少し面白い現象があったので、

上記の魔法の命中率は無視して、記事を書き進めていこうと思います。

 

 

 

それはたまたま、ある敵に「ハピルマ」を使用した時のことです。

状態異常系の魔法は重ねがけが有効で、

幸福度も最大でLv3まで上げることができます。

 

そして、敵の幸福度は最大のLv3になり、行動不能に陥りました。

しかし、別のキャラの行動ターンが来た時、そのキャラの攻撃方法は

「ムド」しかありませんでした。

 

最初、敵の幸福度が低い内は、この「ムド」が効いていました。

しかし、幸福度がLv3になった時、呪いの魔法が効かなかったのです。

 

私はこれを見て思いました。

ものすごく幸せな人間には、呪いなんて初めから効かないのではないか?と。

 

いえ、もしかしたら「呪い」という概念や要素が極端に少ない・ない人に、

「呪い」をかけても、それは無効になるか、

ほんの少ししかダメージを与えられないのではないか、と考えたのです。

 

では、「呪い」という概念や要素が多い・少ないとは、具体的にどういうことなのか?

私自身の経験を交えて、考察していきたいと思います。

 

 

 

私は、長らく「呪い」の記事を書こうとしてきましたが、

どうも私の性質上「呪い」よりも、「幸福」や「希望」に意識が向きがちになります。

 

ですので、単に「呪い」の記事を書くよりも、「幸福」をセットにした方が、

筆が進むのではないかと思い、少し方向性を変えてみることにしました。

 

 

 

以前、あるバンドに抗議(?)の手紙を送ったら、

全然関係ない周りのバンドや芸能系の人達がもの凄い反応を示した、

という記事を書きました。

 

最近になって、その反応を

「これはまさしく呪いだ。しかも、彼らは私を呪っているつもりで、

実は自分自身を深く深く呪っているだけにすぎない」と気付きました。

 

私がその時強く感じたのは、

「彼らは私を鏡として、自分自身を呪っている。そして、それは彼らが無意識内で

やりたくてやっていることだ。

彼らはみんな、自分自身のことが憎くて憎くてたまらないのだ。

だから、私という恰好の鏡を得て、ここぞとばかりに自分を呪っている。」

 ということです。

 

「理想通りの完璧でかっこいい自分になりきれていない自分」を呪っている、

とでもいえばいいのでしょうか。

たとえ99%の他者がその人を「かっこいい!」と認めたとしても、

残りの1%は彼らにとって汚点です。

 

真っ白な生地に、黒い染みが一点落ちると、どうしようもなく気になってしまう、

というのにも似ているかもしれません。

 

他が完璧であるが故に、その1%がどうしても許せない、

という現象に陥ってしまうのでしょう。

 

 

 

そして、その一方で「あなたの言う事は正しいよ!」と、

私を祭り上げる人たちもありました。

 

私を擁護する人たちに対して、その時私が強く感じたのは、

「これもまた、呪いと同じ部類のものだ。

しかも、彼らは私を承認しているつもりで、実は自分自身では埋めきれない

承認欲求を自分で満たしているだけだ。

この人たちは、私を鏡として自己の承認欲求を満たしているに過ぎない。

そして、それは彼らが無意識内でやりたくてやっていることだ。

彼らはみんな自分自身に自信がなくて、心細くて仕方がないのだ。

だから、私という恰好の鏡を得て、自分の承認欲求を満たしているに過ぎない。」

ということです。

 

 

 

ここまで理解した時、ひとつの答えが私の中に浮かび上がりました。

「幸福は外からやってくるものではない。」

 

外からやってくるものとは、

・他人からの高い評価、賞賛

・お金やそれに相当する物品

・肩書き(自分でつけた場合は、アクセサリー扱いとなる)

・利害関係のある人脈(お金だけではなく、腐れ縁的なものも含む)

ではないか、というのが私の考えです。

 

 

 

さて、では「呪い」、「幸福」の正体とはなんなのでしょうか?

 

私が考える「呪い」「幸福」の根幹を成す最も基本的な感情は、

「あいつばっかり得をしている!自分ばっかり損をしている!」という、

個人的かつ主観的な自分自身への損得勘定ではないでしょうか?

 

要するに、人と比べる事を常とすると、

自分自身が「呪い」や「承認欲求による洗脳」という

状態異常にかかってしまうのではないか、という仮説です。

 

 

 

特にキラスピ系の人達の言動を見ていて思ったのは、

お金や賞賛に対する執着が異常で、

私は度々「普通に生活して、毎日コツコツ生きている自分」が、

この人たちは余程許せないんだろうな、と感じました。

 

彼らは自分では「自分のやりたいことをやっている!」と言っていますが、

私にはむしろ、「承認欲求による洗脳」という混乱状態に陥り、

「本来の自分のやりたい事」が「お金や名誉」に

すり替わってしまっているように見えました。

 

私もお金や賞賛に対する執着はありますが、

強い洗脳によって、自分自身を見失うのが最も疲弊するので、

彼らとは馬が合いませんでした。

 

 

 

 今までは、そういう強い「呪い」や「洗脳状態」にある者が

脚光を浴び、富や名誉を欲しいままにしてきたのでしょうが、

これからの時代は、全く違った世界が展開されていくのかもしれませんね。