なんでもよし。

最早、何でも良い。

その怒りの意味。

こんにちは、Space-radです。

 

引き続き、「物語を創る」セミナーで思った事を書いていこうと思います。

 

なぜ、こんなにねちねちと書き続けるのかというと、

何も得るものがなかったと強く感じたから、

そのセミナーで感じた違和感を、どんどん言語化することにより、

自分の怒りをや悲しみを鎮めたいのです。

 

他人の感情と日々向き合う仕事をしているせいか、

こういう時は自分の中にある怒りを、ある程度表現しないと、

自分の中に澱のように溜まっていくような気がするのです。

 

感情を表現しないで、内に内に溜めこむ事は精神衛生上よくないです。

ですから、今回も良くない内容の事をばんばん書いていきます。

 

それにしても、どちらかというと私は、

こういうセミナーに割とお金を使ってきた人間ですが、

こんなに腹が立ったのは生まれて初めてです。

 

 

 

今日はたまたま同業の友人とズームで話をする機会がありました。

その友人は、ズームではいつもビデオを使わないので、

音声だけでのやり取りになりました。

 

そこで得た結果は、

・その講座で使われていたツールについて話し合い、やっと使い方の理解ができた。

・使い方を理解できた結果、そのやり方が自分に合っていない事が分かった。

・ツールの使い方のみの説明であれば、恐らく理解できた(詰め込め過ぎ)

・1万円以下なら、こんなに怒らなかった(実際は1万6500円)

・最後の2時間は、ひたすら講師の説明を聞いているだけで、

 なおかつ棒読みだったので大変つらかった。

・その説明も長大な割には要点を得ていない自分語りのように感じた。

 (講師の話で最も印象に残ったのが、以前働いていた職場は儲かっていたが、

  なぜか潰れたという話。

  潰れていったプロセスの話はしたのかしてないのかは最早覚えておらず、

  ただ前の職場で一生懸命働いて、それが楽しくなぜか潰れたという記憶しかない)

TOC(制約理論)の話が出たが、それが「物語を創る」にどう繋がるのかは不明。

 という事です。

 

他にも色々話したのですが、忘れてしまいました。

 

 

 

他人の話を聴く事を重点に置いた仕事をしているせいか、

プライベートでも他人と会話をしていると、

「他人が使っている言葉や単語の意図を理解する事に、

気を遣っている人とそうでない人」の違いが気になります。

 

「なぜこの言葉だったのか?なぜそういう言い回しなのか?」

 

たとえば、京都のように遠回しで綺麗な言葉を使いたがる人の場合、

「その言葉の意味や意図」を考えながら話をしないと、会話がかみ合いません。

 

遠慮や配慮、という感情が動いて、

遠回しな表現をせざるを得なかった、そういう場面は誰にでもあると思います。

この様な場合、「遠慮や配慮をさせない環境作り」も重要ですが、

それに気付く感度もある程度鍛えておかなければ、

隠れたニーズを探し当てることはできません。

 

 

 

さて、あれこれと書いてきましたが、この講座に私が最も腹が立ったポイントは、

「物語を創る」事をテーマにしていながら、「言葉」に対する思い入れが高くない

という事です。

 

物語を創る時に「絵」で表現するパターン(漫画など)もありますが、

多くの人は言葉を使うでしょう。

 

とくに日本語は象形文字なので、目から入る情報が英語よりも段違いに多いのです。

ですから、日本人は英語を「書いて」覚えようとしますが、

実際は「聴いて」覚える方が効率がよいようです。

 

 

 

それにしても私は、言葉を蔑ろにする人になぜこんなにも腹が立つのでしょうか?

そこら辺ももっと深掘りしていけば、何か腑に落ちる物があるかもしれません。