なんでもよし。

最早、何でも良い。

言い訳ではなく、そういう「表現方法」。

こんにちは、Space-radです。

 

最近、職場で似たタイプの2人の困った人に出会ったので、

その事について書いていこうと思います。

 

 

 

その2人の共通項は、

基本的な仕事ができない、

そしてそれを自分自身も認めている事を他人に上手に表現できない、

です。

 

後者から説明した方が分かり易いと思うので、

まず「仕事ができない事を認めている自分を表現できない」

から書いていきます。

 

 

 

 

私は県内の3つの施設を、日替わりで出勤しています。

IT関連でいう所の、客先常駐の看護師版みたいなものです。

 

そしてこの様な仕事をしている多くの看護師は(在宅への訪問看護師含む)、

基礎的な技術や知識はある程度習得済である事が前提条件です。

 

基本的には1人でする仕事なので、

誰かから教育・指導してもらったり、

研修や勉強会などをする体制も皆無です。

 

ですから、多くの看護師はまず病院に就職し、

そこで一通り経験を積んでから、

その病院で働き続けるのか、それとも転職するのかという選択を取ります。

 

しかし、中には病院という組織の中で上手くやっていけず、

現場レベルでの知識や技術を習得する前に、

一人でできる訪問看護や客先常駐の仕事に就いてしまう人もいます。

 

点滴や注射、急変時の対応が全くできない、という人も何人かおられました。

 

 

 

 

世の中には、組織の中で働く事が割とスムーズにできる人もいれば、

中にはそれができない人もいます。

 

私自身も過去にはそのような体験はありますし、

たまたま最初に就職した病院の体質が、私に合っていただけなのかもしれません。

 

そういう向き不向き、というのも人には当然あるでしょう。

そのような場合は一体どうすればよいのでしょうか?

 

私が今現在困っているこの2人の事を、施設で親しくさせて頂いている職員さんや

他の看護師さんに話してみると、周囲の人も全く同じように困っていました。

 

時折、他の看護師さんと顔を合わせる機会がありますので、

彼らにミスを指摘すると(それ程きつい口調ではなく、ごく軽い調子での注意)、

大抵周囲に「責任回避」と受け取られてしまうような言動が返ってきます。

 

初めは、私も腹を立てたりしていたのですが、

段々とちょっとこれは違うんじゃないか?と気付くようになりました。

 

たとえば、「これは赤ですよね?」と聞くと、

「違うんです、それは青なんです」と返ってくるのです。

しかし、どう見ても赤いものは赤いですから、

それを青と認める事はできません。

 

また、どうやら「赤は全部真っ赤」と捉えているような所があるようでした。

「赤」と一口に言っても、茜色や紅、緋色など色々な赤があります。

 

どの職場や国においても、その場所特有の「暗黙の領域」というものが存在します。

「限りなく青に近い赤」ならば、同じミスはミスでも許容範囲内、という考え方が、

彼らにはすっぽり抜け落ちているのではないか?と感じる時があるのです。

 

彼らにとって、ミスは全部ミスでしかなく、

他人の「許容範囲内のミス」と自分の犯したミスの何が違うのか?が、

恐らく納得できていないのではないか?と最近、強く感じるのです。

 

 

 

それで、ちょっと冷静になって、なぜこんな風に捉えてしまうのだろうか?と

色々と調べてみましたら、

「自分の観測的希望や理想を咄嗟に言葉にしてしまう癖があり、

自責の念がないわけではない。

また、上記の発言が彼らにとっては、謝罪の意味が込められており、

その上、脳内では何度も相手に対して謝罪しているので、

どうしてこんなに謝っているのに許してくれないのか?と

不平不満を抱きやすい」

という情報が出てきました。

 

これを見た時に、「そうか、そういう事だったのか!」と、

とても納得したのです。

 

要するに、彼らは彼らなりに自分の気持ちをきちんと周囲に

表明しているのです。

しかし、その表現方法が独特過ぎて誰にも伝わらない、

というコミュニケーションミスを起こしているだけだったのです。

 

表現方法が独特、という事は、

恐らく他人から受けた言動も、

彼ら独自の解釈をしている可能性が非常に高いのではないでしょうか。

 

だから、「誰も自分を理解してくれない」となって、

技術や知識が身につかない内に、一人でできる仕事を選んでしまったのでしょう。

 

 

 

これを知って、私の気持ちはとても軽くなりました。

これからは、適当に距離を置いて深入りしないようにしたいと思います。

 

彼らは彼ら自身で色々悩んでいるようですから、

専門家に頼るかどうかは、彼ら自身が自分で決めればいい事だと思います。

 

私は自分の仕事をまずしっかりやって、

必要があれば相手に注意はしますが、それを受け入れるかどうかも、

本人たちが自分で決めてやればいい事だと思います。