なんでもよし。

最早、何でも良い。

自分に向き合うタイミング。

こんにちは、Space-radです。

 

はてなブログを始めて、そろそろ半年の折り返し地点が見えてきました。

私は、このブログを始めた時、とりあえず1年間は続けてみようと決めていました。

 

ブログで少し稼げたらいいな、と淡い期待を抱いていましたが、

人様のためになるような記事を書くより、自分が好きな題材で記事を書くのが

面白くなってしまい、今日に至ります。

 

しかし、ふと気付くと、何となく私はこの「はてな」という世界に

変な収まりの悪さを感じるようになっていったのです。

 

最初、それは非常に小さなものでした。

けれど、その違和感を私はどうしても無視できなかったので、

「それ」について、とうとう考え始めてしまいました。

 

 

昨年の11月、ある有名ブロガーさんが刺殺されるという痛ましい事件が

起きました。

私はその事件前に、その方の

誹謗中傷に悩まされていたけれど、運営が迅速に対応してくれた、

という記事を、たまたま拝見していました。

 

その時は特に何も思いませんでした。

せいぜい、悪いことはしない方がいいなあ、くらいの感想しかありませんでした。

 

その後、私は事件のことを知らないまま、今年の4月にはてなブログを始めました。

 

はてなブログがどういう所なのか?

 

別に知らなかったわけではありません。

「はてぶ」というものの存在も知っていたし、そこがどういう場所なのかも、

何となくではありますが、把握はしていたのです。

 

 

 

私は、オタクではない人達から見ると「オタク」ですが、

ディープなオタクの人達から見ると、いわゆる「ライト層」と呼ばれる人間です。

私の周りにいるオタクの人達は、みんな「一番好きな漫画はワンピースです」と、

言うタイプの人達ばかりです。

 

自分から意識して、周囲をそういう「ライト層」と呼ばれる人達で固めてきました。

理由は、彼らとはどうでもいい世間話が気楽にできるからです。

 

しかし、ディープなオタクの人達(これは別にアニメやゲームに限るものでは

ありません)は一筋縄ではいかないのです。

 

気楽に言葉をかけようものなら、俗にいう相手の「地雷」にクリティカルヒットして、

人間関係が破綻することが多かったのです。

20代の頃、そういう経験を何度かして、

私が付き合うには、彼らは繊細すぎると判断し、黙ってそこを立ち去りました。

 

 

 

それから約20年の月日が経ち、私ははてなブログを始めました。

そして件の刺殺事件を知り、自分の中にあったはてなへの「小さな違和感」が、

「無視できない程に巨大化した」ことを感じました。

 

私が、今回一番書きたいことは、「人はなぜ煽ってしまわずにはいられないのか?」

という事です。

 

 

 

炎上というのは楽しいものです。

それが対岸の火事であれば、尚更のこと。

人の不幸は蜜の味、だけど、他人の幸福は許せない。

 

これは人間全体が持って生まれた「性」みたいなものだと思っています。

「善い」とか「悪い」とかいう単純な話ではありません。

私自身も、この「性」のようなものはたくさんあります。

 

煽るのが良くない、という話をしたいわけではないのです。

魔が差す、とでもいいましょうか。

何ともいいようのない真っ黒なものが、腹の底から湧き上がってくる瞬間を、

感じたことがない、という人はいないと思うのです。

 

だけど、強すぎる光と同様に、深すぎる闇もまた、

直視できる程人間は強くないのだと思います。

だから、人はその黒さを代用してくれる「人身御供」を探すのではないでしょうか。

 

その人身御供は、何だって誰だっていいのです。

それは「自分」ではないのですから。

 

そして、これが一番重要なことなのですが、自分の中から黒を駆除しようと

しすぎないこと。

黒と白を抱えて生きる強さがあれば、人間はもっと自由になれのではないでしょうか。

 

そして、灰(グレー)の存在を素直に認めてしまうこと。

世の中には、実はそんなに「真っ黒」も「真っ白」も存在しないのかもしれません。

 

 

 

私はなぜ人間がこのような性を持って生まれてくるかは、

分かりません。

ですが、そういう「性質」を持って生まれたのならば、

自分でそれをきっちり認めて、引き受けようとする強さがあれば、

人生は大きく変わるかもしれません。

 

これは、一朝一夕にはできることではないのかもしれません。

しかし、世の中の大半は、灰(グレー)でできているのかもしれないのです。

 

 

 

何かや誰かを美化しすぎることも、逆に貶めすぎることも、

自分自身への戒めとして、この記事を終わりにしたいと思います。