こんにちは、Space-radです。
みなさんは「ワンネス」という言葉をご存知でしょうか?
私は去年初めて知ったのですが、どうもこの言葉が苦手です。
今回は「ワンネス」の言葉の意味と個人的な感想を述べていきたいと思います。
まずはワンネスの言葉の語源は簡単です。
ひとつ(one)+接尾辞こと(ness)=ひとつであること、です。
しかし、気になる和訳を掲載している所がありました。
それは、「単一性・同一性」です。
手持ちの旺文社の国語辞典にはこう載ってます。
【単一】
①ひとつ、一人。
②それだけで混じりもののないさま。
【同一】
①同じであること
②差別がないこと、平等。
確かに、onenessという英単語に注目してみれば、
単純に「1」を強調しているようにも見て取れます。
そうすると、「個人としてのoneess」と「集団としてのoneness」は
決して相反するものではなく、
両立させることができるものである、という前提が生じます。
しかし、日本では「ワンネス」 は主に「一体感」という意味を強調して使われており、
「個」としてのワンネスは、意識にすら上ってないようにも感じます。
これは非常に日本らしい使い方だなあ、と私は思いました。
全ての日本人がそうだとは思いませんが、
やはり多くの日本人は「自他の区別が曖昧なのかな」と
個人的に感じる事が、日々の生活の中で多々あります。
相手の意見も尊重しつつ、少し違う意見を丁寧に述べたにも関わらず、
烈火の如く怒りだし、それを延々と根に持つ人が結構多いように感じます。
ですから、ちょっとした他人の失言には言わずもがなで、
時にはSNS上で炎上騒動になったりすることもあります。
勿論、炎上しても仕方のないような発言をする人もいらっしゃいますし、
その一方で、客観的に見ていて、特に他意はなかったんだろうな、
と個人的に感じることもあります。
基本的に私は、ミスをしない人間は絶対にいないと考えるので、
「失言する方が悪い」という考えは、あまり持ち合わせていません。
「まあ、人間だから間違えることもあるよね」程度です。
ですが、これは勿論程度の問題ですので、人命や人権に関わるなど、
大きな出来事に対しては、やはりしっかりと対応すべきだとは考えています。
冷静に本人に意見すれば、それで治まる。
自分自身に直接関係があるわけでもなく、
それ以上触らなければ大きな騒ぎにならないのに、
知ってか知らずかどんどんエキサイトしている人も見受けます。
自分で「分かって」やっている人もいるのですが、
割と「分かってて、やっている」と言いながら、
意外と「分かっていないのでは…?」と思うような言動の方もおられる。
これは、悪い意味での一体感なのではないだろうか?とふと感じました。
そういう時って、自分の現実を忘れられる瞬間なので、
やっぱり自分と向きうのが怖いのかなあ、なんて感じたりもします。
そして、「自分と向き合うのが怖い」という感情は、
人に言わないだけで、案外みんなそういうものって持ってるんじゃないかな?
と、私は思うのです。
ですから、「自分ひとりだけ」という孤独感を、
自分自身でしっかり受け止めて、自分で自分を癒してあげるのが
必要な時代なのかなと、ツイッターが苦手な私は思ったりもするのです。
たとえば、こういう表現はどうでしょうか?
「ワンネスを体感しよう!あなたと私は1つなのです!」と書くと、
何かこう非常にキラキラとした印象を受ける方もおいででしょう。
これを別の言葉に置き換えるとこうなります。
「集合的無意識に溶け込もう!自分という認識は不要です!」
何となく不気味な感じになりますね。
確かに、私達はみな同じ肉体構造を持つ人間なのですが、
その思考や価値観は、人それぞれです。
カタカナ英語のワンネスでは、
「分離(アイデンティティ{個として}の確立)」と「統合(他者との調和)」の
認識や定義が非常に曖昧なため、自分と違う意見や価値観・思考を持つ人に
耐えられず、他人を支配する(マウントを取る)という行動を
無意識下で行わせる、という弊害があるのではないでしょうか。
私の考えるアイデンティティとは、「私とはどういう人間か?」という
自分なりの定義です。
こういう哲学的なものが時々論じられますが、私が見たものでは、
それは思春期時代にのみ限定されていたり、
妙に深刻に捉われすぎていたりすることが多いように感じます。
私が考えるアイデンティティはもっと軽いもので、
何に喜び、何が好きで、どんなことに怒り、どんなことに悲しむのか?
という定義です。
そして、それは当然ながら、年代によって変化しますし、
肩書や職業は関係ありません。
「大多数の人とは違う、自分の意見や感情を表現するのが怖い。」
それは長らく日本国内で言われ続けてきた
「同調圧力」
のせいだと私は考えます。
ですから、そう簡単に外の世界に向かって自分を表現することは
ハードルの高いことかもしれません。
しかし、誰にも言わずに、自分で自分の感情をしっかりと受け止めることくらいは
できるのではないでしょうか?
そうすれば、「ワンネス」にこだわり過ぎて、窮屈な思いをすることもありません。
「他人と違う感性を持つ」
事に深く悩んできたはずなのに、
いざ、周囲に自分と同じような人が集まると、
違う価値観の人間を排除しようとする動きが出ます。
これは「他人と違う自分」を肯定できない環境に長くいたために、
自分を信じる事ができず、自分への無価値感が取らせてしまう行動なのでしょうか。
私はこれを「ワンネスの弊害」と勝手に呼んでいます。