こんにちは、Space-radです。
ここ数日GAFAの事をずっと書いていますが、今回も同じネタです。
満員電車に揺られて通勤をし、ぼーっとしている時にふと思いついた戯言です。
GAFAの目指しているゴールは、大変分かり易いものです。
それは人・物・環境の全てにおいて、可能な限り無駄を省き、
最小のパフォーマンスで最大限に稼ぐ、です。
電車に揺られて通勤する、というのは大変な時間の無駄です。
朝早く起きなければならないし、帰宅は遅くなります。
色々な人がいるため、不愉快な思いをすることもしばしばです。
一方ですごい美人や颯爽としたファッションの人に出会い、
目の覚めるような思いをすることもあります。
しかしそうはいっても、
ITを駆使してリモートワークをやった方が余程快適でしょう。
美人やファッションセンスのある人なんて、PC上で検索すればたくさん出てきます。
ところで、皆さん。
ここ1年の間、ステイホームを実践していかがですか?
春は花見に夏は海、秋は紅葉に冬は雪。
これらの風物詩は、PCやスマホの画面上でいくらでも動画や画像で見られます。
だったら出かける必要なんてないじゃないですか?
近所のスーパーやコンビニで酒のつまみを買って、
家でパジャマのまま、動画や画像を見ていればいいのです。
こんなに快適なことはないでしょう。
だけど、それって感動しますか?
私は出勤する度に、朝早く起きて寒い中を駅まで歩きます。
たくさんの人に揉まれてお互いに嫌な気持ちになったりもします。
そうして私はある日突然思うのです。
「ああ、何か楽しい事したいなあ」と。
「ステイホーム」という言葉が世の中に広まり始めた時、
私はあまり深く考えませんでした。
「元々自分はインドア派だから大丈夫。受けるストレスなんて大した事ないだろう」
そんな風にさえ思っていたのです。
しかし、実際は違いました。
私は休みになれば、日用品を買いにしょっちゅう出かけていました。
そしてスーパーで買い物するついでに近所のカフェでお昼を食べ、
そのついでに神社まで足を伸ばして参拝し、
帰りにはずっと足を運んでいなかったケーキ屋さんを覗くのです。
また別の日には友達と一緒にお昼を食べ、
百貨店で値の張る食器や絵画をのぞき見、
文房具店に並べられた膨大な数の文具を眺めるのが好きでした。
そうして私はある日突然思うのです。
「ああ、何か創りたいな」と。
GAFAの考えているであろうことは何となく理解できます。
一緒に仕事をしているメンバーに、
余計な事をして無駄な仕事を作るようなことはしてほしくない、と。
だから、最初から人間なんてあてにしない、
最小の有能な人材と後はAIがいればたくさん、案外誰もが思う事ではないでしょうか?
そういう私の職場にもそんな人がいます。
責任を取る事もできないし、権限もないのに、なぜかやる気だけは満々。
違う意見を「意欲」という武器で吹っ飛ばしてしまう。
結果、現場がひどい混乱に陥ってしまう。
「こいつさえいなければ…!」
そんな風に思う事は一度や二度ではありません。
ですが、私は最近になって気付いたのです。
厄介な人物と仕事をする機会が多ければ多い程、
対人関係に関するスキルや知恵が身につくのです。
そして、人と人をつなぐことができる人材は、
意外と色々な分野で不足していて、尚且つ重宝がられると。
今日も私は色々な人に挟まれながら仕事をしました。
利用者さんのどうにもならない愚痴や不満をのらりくらりと聞き、
現場と管理者の意見が大幅に違う事に頭を悩ませ、
誰かの面子を壊さないように注意を払い、
誰かに相談した事を、別の誰かには違う言葉で伝えたり(或いは伝えなかったり)。
一般的にはかなり面倒臭いとされるような内容ですが、
看護師になってから、私はこういう仕事をすることが非常に多いのです。
これは確かに無駄な仕事でしょう。
代わりにAIに任せることができる仕事でしょうか?
私には分かりません。
ですが、ひとつだけ言えるとするなら
創造性というのは膨大な無駄に支えられているのではないか?という事です。
創造性というのは、言い換えるなら「遊び心」の事だと私は思います。
子どもの遊びに生産性を求めるのは、大変野暮な事です。
無駄だから楽しいのです。
子どもは無心に遊びます。
大人が本気で遊んだ時、
そこに生まれるものこそが芸術であり文化ではないでしょうか?
計算されつくしたタスクには、遊びが入る余裕がありません。
そして、無駄がなければ「つまらない」と感じてしまうのも
また人間の性なのでしょうか?
無駄を省いて効率を重視した結果、そこにはどんな風景が広がっているのでしょうか?