月は、1年間で地球をほぼ12回転しますが、太陽の活動周期は約11年間です。
何だか中途半端な数字だなあ、と感じたのには、理由があります。
例えば、グーグルクロームを使っていると、
事ある毎にグーグルはユーザーに確認してきます。
「同期をonにしますか?」
これは、結局ユーザー側の利便性は勿論、グーグルにとっても、
その方がユーザーの管理をしやすいからでしょう。
「同じにして、連動させる」という構造は、
管理者側からすれば、非常に画一化・統一させやすいのです。
人間というのは、妙な生き物で、統一されるのは嫌うくせに、
いざ自分が管理する側になると、細部に及ぶまで、きっちりと統一したくなるのです。
理由は様々でしょうが、結局、それは「見た目の美しさ」という、
非常に単純で意味のない欲求からきているのではないか、などと考えるのです。
ですから、太陽と月のサイクルも、同じにしておけば、
恐らく、非常に管理しやすい構造となるのではないでしょうか。
では、「管理者」とは一体誰なのか?
この宇宙を「創った者」がいる、と仮定した場合、
非常に人間的な感情や感覚を持ち出すとするならば、全ては同期・連動させておいて、
いつでも簡単に管理できるように手元においておきたい、
と考えるのが妥当ではないでしょうか。
しかし、太陽と月のサイクルが違う所を見ると、
「宇宙を創った者」は、そもそも初めから管理する気など一切ないのかもしれません。
ですから、別な言い方をするならば、
「宇宙を創った者はいるが、それを統治・管理するものはいない。
だから、宇宙を創った者は、人間を見守り、手助けはしても、
人間を管理して、正しい方向などという不確かなものに手引きしてやる事は一切ない」
と、言い換える事ができるのかもしれません。
この宇宙の統治・管理に対して、もうひとつ重要な事があるとするならば、
「宇宙は膨張している」という事です。
例えば、庭の草木を効率よく膨張させるには、手入れをせずに放っておく事です。
手を加えて、剪定をすれば、見た目は美しくなりますが、
ある一定の枠を超えて膨張する事は、まずありません。
基本的に植物は、放っておけば、人間の意思や感情などお構いなしに、
どこへでも縦横無尽に膨張していきます。
「宇宙を創った者」の狙いが、この果てしないランダムな膨張の中で起こる、
不確かで不安定で粗野な、しかし躍動感のある瑞々しい奇跡を生み出す事だとしたら、
それは一体どういう状態を表すのでしょうか?
人間が、いくら自由になりたい、といっても、
肉体という狭い檻に閉じ込められてる以上は、
その肉体を維持するための、衣食住の確保は絶対です。
何でも自由にできる状態、というのは、意外と人間の創作意欲を刺激しません。
かえって、「あれができない、これもできない」という制限がある方が、
素晴らしく面白いものができるのは、意外とよくある話です。
ですので、今、ディズニーやグーグル、アマゾンなどが躍起になって取り組んでいる、
「管理」した上で「膨張」させる事が可能かどうか、
我々は、良く見ておかねばならないのかもしれません。