なんでもよし。

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信仰に対する美学と哲学、その一。

こんにちは、Space-radです。

 

今回は、高野山で私が感じた「信仰心とは何か?」について、

書いていきたいと思います。

 

 

 

高野山に入山して、私が真っ先に向かったのが、奥の院です。

 

昼も過ぎ、時刻はそろそろ夕方になろうかという頃で、

折しも雲行きがやや怪しかったために、参拝客はまばらでした。

 

本堂には、賽銭箱が2つ並んで置いてあり、

その内の1つは明るく照らされ、もう1つは暗い中にありました。

 

その場にいた全員が、明るい方の賽銭箱にお賽銭を入れ

お参りをしていたのですが、

少し待っても、明るい賽銭箱の前を空けてくれる様子がなかったので、

仕方なく私は、暗い方の賽銭箱にお賽銭を入れてお参りしました。

 

私が入れた暗い賽銭箱には、遮るものは特に何もありませんでした。

 

更に、暗い事もあって、私はいつもより多目にお賽銭をいれました。

 

高野山は、霊山として名高い宗教都市ですから、

有名企業や由緒正しい家柄の方々が、たくさん寄進をされていますし、

別に私が少しくらい多くお賽銭を落とした所で、

高野山にとっては、大した金額ではない事は、重々承知でした。

 

しかし、これだけ広大な敷地を手入れするのは、

お金も人手も多くかかるでしょうし、僅かながらでも何かの役に立てば、

と思い、お賽銭を入れた次第です。

 

その日は、特にこれと言って何もなかったのですが、

宿に帰る道すがら、左肩から腕にかけて強い痛みと痺れが生じました。

 

宿に着いてしばらくすると、その痛みも痺れも嘘のように消えてなくなったので、

それきり忘れてしまいました。

 

そして、最終日の3日目に、また奥の院へと向かいました。

 

奥の院の入り口から本堂までは、墓所がずっと続いておりますので、

また左肩が痛くならないかなあ、と心配になったのですが、

特に痛みも生じずに奥の院に到着しました。

 

本堂に入ってみると、驚いた事に、

一昨日私が入れた暗い賽銭箱の前に立札があり、

お賽銭ができないようになっていました。

 

立札の内容は、コロナ感染に関する、何と言う事はない注意書きだったのですが、

私は何とも言えない気持ちになりました。

 

例えば、私が入れたその暗い賽銭箱のお賽銭が小銭だったら、

この立札は置かれていたのだろうか?、とふと妙な考えが頭をよぎったからです。

 

これは、単なる私の想像に過ぎません。

 

確証などはありませんが、その暗い賽銭箱に、私が入れたお金を、

高野山側がどう受け取ったのか、何となく透けて見えるような気がして、

ちょっと微妙な気持ちになってしまいました。

 

 

 

さて、3日目に奥の院に参拝いたしますと、本堂ではお坊様が読経をされていました。

 

何かの祭儀だろうかと思っていると、

その内、入口から、簡素ではありますが、立派な籠が入ってきました。

 

その籠を本堂に上げて、数名のお坊様が何かを取り出していました。

 

その日は、お遍路さんが数名の団体で訪れていらっしゃったので、

その籠を見たお遍路さんたちは、皆さん色めき立ち、

我先にと、先頭へといらっしゃり、手を合わせておいででした。

 

しかし、私も途中で気付いたのですが、

どうやらその日は、とても立派な家柄の方のお葬式だったようで、

籠の中に入っていたのは、そのお方の遺骨だったようなのです。

 

お遍路さんたちも、それに気付くと、皆さんさっとどこかに行ってしまわれました。

 

所謂、一般的なお葬式で目にする、

墨染めの衣をお召しになっているお坊様がおられず、ご親族と思しき方々も、

一般の参拝客と変わらないような出で立ちをなされていました。

 

また、お葬式の調度品なども、葬式を思わせるような物が見当たりませんでした。

 

ですから、何かの祭儀と見間違ってしまっても、

それは仕方のない事なのですが、何となく、お遍路さんの熱心さと言いますか、

そういうものが、あまり場に相応しくないように感じ入ってしまいました。

 

そうこうしている内に、私は左肩にまた強い痛みと痺れを生じましたので、

読経を聞くのを諦めて、本堂の裏に回りました。

 

そうしますと、そこでは先程のお遍路さんの団体が、

お線香をたくさん焚かれ、熱心に読経され、何とも言いようのない

異様な雰囲気を醸し出しておられました。

 

私のような、あまり熱心でない参拝客がお参りしにくい状況でしたので、

私はお参りは諦めて、そのまま元来た道を戻りました。

 

奥の院を離れ、墓所の間の参道を歩いておりますと、

不思議な事に左肩の痛みも痺れも徐々に軽くなり、

出る頃にはすっかりなくなっていました。

 

それから私は、下山するまでの間、

中世の欧州で起こった宗教革命の事などを、ぼんやりと考えておりました。

 

 

 

今にして思えば、私の左肩が痛くなったのは墓所ではなく、

奥の院でしたので、何か心霊的な現象があったというより、

奥の院を訪れた生きている人間の、悩みを解決してもらいたいとか、

現世利益を得たいとか、人より良い思いをしたいとか、

国内外、又はずっと長い期間を経て、そういうリアルな欲望が、

澱のように渦巻いているんじゃないのかな、と感じたのです。

 

人間というものは、頭で分かってはいても、欲望に目が眩んだり、

嫉妬や怨念で訳が分からなくなる生き物なのかもしれません。

 

どんな経験を積んでも、立派な地位を得ても、

肉体がなくなれば皆同じなのかもしれません。

 

謙虚になる、という事はひたすら自分以外のものに向かって頭を下げるだけでなく、

そこに疑問を持ち、自分の頭で考え、違う価値観の人間を尊重しながら、

自分の意見を大事にする事のように思います。

 

少し話が長くなりましたので、今回のテーマについては、

次回にまた改めようと思います。