こんにちは、Space-radです。
一昨日から今日まで、高野山で二泊してきました。
そこで、信仰心とおもてなし、普段の自分の思考の癖について、
思う事があったので、今の内に記録しておきます。
初めての高野山は、今から10年程前、友人の誘いで行きました。
その時に宿泊した宿坊は非常に簡素な所でしたが、
今回の宿坊は、その真逆でした。
個人的な好みであれば、以前の簡素な所が良かったです。
景気が落ち込むようになってから、日本では観光業が特にさかんになり、
海外からたくさんのお客さんを誘致しようと、
国やメディアが率先して「おもてなし」という言葉を、
一時期、やたらとアピールしていました。
その影響なのか、それとも元々からそうだったのか判然としないのですが、
どうも今回の宿泊で、高野山の観光地化が進んでいるのかな、
という印象を受けました。
今はコロナの影響があり、海外からの旅行者は殆ど見かけなかったので、
お寺といえども、経営していくのが大変な時期なのでしょう。
今回私が泊まった宿坊もそうでした。
一番びっくりしたのは、お布施をすれば先祖供養をしますよ、
という勧誘でした。
わざわざ自室にまで出向いて来られ、具体的な金額を提示した上で、
いくらなら何か月、いくらなら一年間、
毎日、朝のお勤めで供養します、というのです。
それもまた、立て板に水のように流暢に話されるものですから、
肝心の金額の所がよく分からなくて、
私自身、生来が面倒臭がりな性質の事もあり、断ってしまいました。
そうしましたら、やはりとても立派なお寺だったものですから、
声をかけてくださったお坊様のプライドを傷つけてしまったのか、
あまり良いお顔はなされませんでした。
本当に立派なお寺だったんです。
所狭しと珍しい家具や調度品が並べられ、
お庭にはよく肥えた色鮮やかな鯉が泳ぎ、夜にはライトアップされていました。
また、中にはお土産屋さんも入っており、
渡された案内の紙には、写経はいくら、これはいくら、
と値段が書かれていました。
そういう塩梅でしたので、初日は物珍しくあちこち眺めていたのですが、
二日目からは、食事と風呂、寝るためだけに宿に戻っていました。
精進料理は、非常に美味しかったですし、
空調など、細かい所にも気を配られていました。
バブル期の頃には、「過剰包装」などというものが流行しましたが、
近年は、「過剰サービス」がいき過ぎていた傾向にあるのかもしれません。
何事も、過ぎたるは及ばざるが如しで、
「良い事だから」といって、どんどんやり過ぎるのも、
却って良くないんだなあ、と思いました。
「おもてなし」についての記事だけで、1000文字超えてしまいましたので、
残りの「信仰心」と「普段の自分の思考の癖」については、
また後日書き記していきたいと思います。