こんにちは、Space-radです。
自分の命式が何を意味するのか、一年程、だらだらと調べてきましたが、
最近になって、どうやら自分の持って生まれた種(天命)が何なのか、
おぼろげながら見えてきました。
私の天命は、恐らく「好きを仕事に」です。
Youtubeが「好きを仕事に」というキャッチコピーを上げた時、
「自分に最も縁遠い、無関係な言葉だ」と思いました。
そして、今も尚「好きを仕事にするのは嫌だ」という自分がいます。
何故なら、「思いっきり遊ぶためには、労働が必要不可欠」と
考えているからです。
たとえば、ビールを最大限に美味しく飲むには、
昼間の暑い時期に、できるだけ水分を控えて我慢し、
喉を乾かすだけ乾かす事です。
(私はアルコール飲めないのでよく分かりませんが、同僚がよくそう言ってました)
ですから、「好きを仕事にしてしまったら、遊びを最大限に楽しめないではないか」
というのが、私の考えです。
では、無理のない形で「好きを仕事に」するには、一体どうすればいいのか?
という事を、考えていきたいと思います。
ニュートンは、リンゴが地上に落ちるのを見て、
これと同じ事象が、天体間でも起きているのではないか、と仮定しました。
しかし、そうすると、月が地球の引力に引き寄せられて、
落ちて来ないのは何故なのか?という問題に直面します。
そこでニュートンは、空間は実在するものであり、それは固定されて変化せず、
物質と空間は、ある一定の法則で相互に作用し合うものであると定義付けました。
しかし、アインシュタインは、光の速さ
(車がどんなに速いスピードで空間を移動しても、
ヘッドライト⦅光⦆が空間を移動する速さは、
車の速さとは関係なく一定である。
つまり、時間と空間は柔軟に変化しながら、相互に作用している)
事から、空間は実在するが、それは時間と空間の相関関係を考えると、
同じく、空間と物質の相関関係も、流動的なものではないかと定義しました。
そして、その流動的な空間に物質による重さが加わると、
空間に歪みが生じ、その歪みに巻き込まれる形で、
引力という事象が発生する、と結論付けました。
(流砂のようなもの。詳細は、動画をどうぞ。)
算命学には、陰占と陽占というものが存在します。
物凄く大雑把に調べた事を明記すると、
陰占=無意識、陽占=意識、という事らしいです。
さて、それでは、東洋でよくいう所の、この陰と陽を、
ニュートンやアインシュタインの理論に置き換えて考えてみると、
それは一体、何を表しているのでしょうか?
出生時間を必要とします。
しかし、算命学では出生時間までは求めません。
西洋占星術=移動する車の視点、或いは固定された空間
算命学=ヘッドライト(光)の視点、或いは流動的な空間
と仮定すると、算命学にはより詳細な時間は必要ありません。
物質の速さがどうであろうと、光の速さは常に一定だからです。
算命学では、同じ日に生まれた人は皆、同じ星の並びを持つ事になります。
しかし、実際には、同じ星を持ちながら、各人の生き方は実に多岐に渡ります。
私は始め、陰占と陽占を別々に見ていました。
しかし、途中から別にしない方がよいのではないか、と気付いたのです。
ですが、いかんせん素人のやる事ですから、
掛け合わせるといっても、どうしていいのか分からず困っていました。
そこで、ふと算命学が出生時間にまで言及しない事に思い至り、
時間とは何か?という視点から考えました。
結果、ニュートンやアインシュタインの動画に辿り着いたのです。
私はこんな風に感じました。
陰占と陽占が掛け合わさった時、恐らくそこに生じるのは、
「重力」ではないか。
つまり、そこに表された概念上の星並びが具現化する、
という事なのではないかと感じたのです。
何もない空間に、自分の星という重力が生じた時、
空間に生じた歪みによって、その星の周囲のものが巻き込まれ、
手繰り寄せられて来る、という事ではないのかな、と思ったのです。
ですから、星が重ければ重い程、たくさんの物が巻き込まれてきます。
しかし、それは良いものも悪いものも、無差別に巻き込んでしまいます。
それでは、良いものだけを巻き込む事は、可能なのでしょうか?
残念ながら、そこまでの答えは出なかったのですが、
何か思いついたら、またブログに書くかもしれません。