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働かざる者食うべからず??

こんにちは、Space-radです。

 

今回は「労働」について少し思う所があったので、それについて述べていきます。

 

例によってある人の動画を見ていると、

「ああ、この人は働かざる者食うべからずという思想にハマってしまっているのかな」

と感じる所がありました。

 

 

 

動画内容を全て見てないので全貌は不明ですが、

冒頭は確か他人と自分を比べても意味がないという所から始まり、

仏教用語の「空」とはマイナスを指すのではなく、

今の自分がたとえどんな状況であってもそれはゼロでしかない、

つまりその状況からやれる事できる事しか始めていくしかない、

という主旨だったと思います。

 

しかし、私はその動画を通してその動画主がこんな風に言っているように感じました。

 

「本当はもっと視聴回数稼ぎたい。数字もっとほしい。

でも、たくさんの人に知られるのは怖い。

たくさん露出して(働いて)ないから、我慢しなきゃ。

働かざる者食うべからず、って言うしね。」

 

この動画主は私自身の鏡だな、と思いました。

そして、途中で見るのを止めました。

 

何故なら仏教用語の「空」の説明が延々と続きそうで、

私が知りたい「露出して(働いて)ないから、我慢しなきゃ」

という本音の部分に触れる事はないだろうと感じたからです。

 

 

 

私はずっと自分が露出していくことに大きな抵抗を持ち続けています。

そして、それはやっぱり駄目な事なんだろうかと罪悪感を持っていました。

 

しかし、最近では大きく露出しなくても稼ぐことができている人に会い、

「自分の方針(露出を小さくする)を変えずに稼ぐにはどうしたらいいか?」

を考えるようになりました。

 

露出をしたい、或いはそこに抵抗を感じない人はどんどんやればいいと思います。

でも、私はそれは絶対にやりたくない事なんです。

自分に嘘をついて露出を大きくしたり、人と比べなくてもいいんだ、

と綺麗事を並べるような生き方はいやだなあ、と思ったのです。

 

怖いものは怖いのです。

 

そこに「空」がどうだとか「働かざる者食うべからず」だとか、

色々な理屈をべたべた貼り付けるのは、私にとってとても窮屈なことです。

 

それを克服するか、それとも別のやり方を考えるかは、

自分で考えればいいんだと思いました。