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「好きなことだけをする」と「嫌なことをしない」と「我慢しない」は矛盾する。

こんにちは、Space-radです。

 

ある方のブログを読んでいたら、「好きな事だけして、嫌なことはしない」という

一文があり、自分の中でそれがとても引っ掛かったので、

言葉の意味や成り立ちについて、少し調べてみました。

 

 

 

いつのことからか、世の中では「好きなことをして生きる」とか、

「嫌なこと(我慢)はやめる」などの言葉が飛び交い、

果てはアナと雪の女王のヒットを受けて、

「ありのままで生きる」という言葉も混ざり、

何だか良く分からない事態になってるな、とふと感じました。

 

「好きなことをして生きる」と「嫌な事はしない」と「我慢しない」は、

果たして同一の意味を持つのでしょうか?

 

また、「ありのままの自分」とは、

個人的に「みじめな自分」「情けない自分」「弱い自分」も

まるごと全部認めて生きていく、という意味だと思うのですが、

どうも巷で言われている意味はちょっと違うようです。

 

 

各言葉の意味を調べてみました。

・好き:気に入ったものや人に心惹かれる様、物好き、気まま、好き勝手、色好み。

    成り立ちは、女性がひざまづく様+子ども=子どもを可愛がる様。

・嫌:好まない、欲しない、きらい。

   成り立ちは、両手を重ねてひざまづく女性+並んで稲を合わせて手でつかむ

   =心が2つのことにまたがって安らかでない。

・我慢:こらえしのぶこと、辛抱、大目に見て咎めないこと、自分を偉く思い他を

    軽蔑すること、我を押し通すこと、意地っ張り、うぬぼれ。

    成り立ちは、我=元はぎざぎざした鋭い鉾を表すが、当て字として「自分」の

    意味に転じた。

    慢=心臓+帽子+目+両手の象形→目の上下に手を当てて、目を切れ長に

    見せるような化粧の様から、また擬態語として遠い・長いの意味から、

    心がのびたるんで、おこたる事を意味する

・有りの儘:あるとおり、事実のまま、実情のまま。

      成り立ちは、有=右手と肉の象形から肉をもつの意。

      儘=はけを手にしている+器の象形から、つきる、

      なくなるの意。

 

 

意外と、「好き」という言葉の意味にも非常にネガティブな意味があり、

少し驚きました。

しかし、良く考えてみると、好きな相手に好きなように振る舞うと、

好きになられた相手からしてみれば、「勝手気まま」ということになりますね。

 

嫌というのは、成り立ちから考えると、「心が穏やかでない」という事を意味し、

心配や不安といった言葉を連想しました。

 

我慢については、「自分を偉く思い、他を軽蔑する」のは仏教用語で、

「我を押し通すこと、意地っ張り、うぬぼれ」は古文から、と辞書にはありました。

「自分が強い」「私は強い」という言葉には、どちらかといえば

前向きな印象がありますが、「我が強い」といわれると、「融通が利かない」と

いうあまりよくない意味に取れますね。

これも文字の成り立ちを調べて、納得しました。

 

あるがままについては、器をはけで空っぽにする、という成り立ちから、

見栄や虚栄心、疑心暗鬼、喜怒哀楽などの、人間の中にある様々なものを

すっかり取り払う、という意味では確かにその通りですね。

 

 

 

さて、この中で私が最も気になった言葉が「我慢」です。

元の意味は「他を軽蔑する、我を押し通す」でしたが、時代が下ると、

「こらえしのぶこと、辛抱、大目に見て咎めないこと」に変化しています。

 

これは、私が思ったことですが、「我慢」というのは、

「鉾のように鋭いぎざぎざした自分や他人の心や言葉、振る舞いをこらえたり、

辛抱したり、大目にみたり」ということなのではないでしょうか?

 

そうすると、ありのままの自分、というのは、このぎざぎざした心や言葉、

振る舞いをすっかり取り払った状態、といえるのではないでしょうか?

 

 

 

このぎざぎざした自分をすっかり取り払うことは、

一体全体可能なのでしょうか?

 

好きなことだけをし続けるためには、

「時には嫌なことも我慢して乗り越えなければならない」し、

嫌なことをしないためには、

自分のネガティブな欲求を理解して、嫌なことを避ける必要性がありますので、

「ありのままの(見たくない嫌な)自分を見なくてはならない」し、

我慢をしないためには、

「好きなことだけをし続けるのは諦めなくてはならない」し、

ありのままで生きるためには、

「自分の認めたくない嫌な部分を我慢して見なくてはならない」

ということになります。

 

これら4つの事を同時に行うことは、

すごく心がぎざぎざする行為なのではないか?と、私は思うのです。

 

どう考えても矛盾しているからです。

心が不安定になり、2つどころか、3つにも4つにも引き裂かれそうな勢いです。

 

 

 

自分の人生において、「何が最も重要か?」という優先順位をつける必要が

あるのではないでしょうか?

 

どんな風な人生にしていきたいか?、そのためには、今、何が必要か?が

分かれば、もっと軽い心持で生きられるように思うのです。

 

 

 

とりあえず私は…「我慢」を最優先事項にあげていこうと思います。

我慢は頑固さにも通ずる所がありますし、自己犠牲的な生き方はもううんざりです。

 

この記事を書いて、

後の3つは、今の所、私にとってはどうでもよいこと、というのが良く分かりました。