なんでもよし。

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最初に感情を爆発させたのは誰だ?

こんにちは、Space-radです。

 

昨日書いた記事の続きで、自分の母親との関係で気付いたことがあったので、

また記事を書いていきます。

dragon-cosmos.hatenablog.com

 

ふと思ったのです。

一番最初に、私に良く分からない感情をぶつけてきたのは、私の母親ではないか?と。

 

私の母親は、4年前に亡くなりました。

70手前のことでした。

 

私が生まれた時、父は精神疾患のため、ほとんど働いていませんでした。

自宅にいて、赤ん坊だった私と日がな一日遊んで暮らしていたそうです。

 

勿論、父は掃除、洗濯、炊事などの家事は一切やりません。

 

一日働いて帰ってきた母は、当たり前の話ですが、もの凄く不機嫌です。

父は、夕方になるとこそこそと家を出て行って、遅くまで帰ってきませんでした。

 

そんな状態でしたから、母が妹を妊娠すると、2人はすぐに離婚しました。

 

 

 

さて、そんな母ですが、外面は非常に良い人でした。

俗にいう、「いい人」というやつです。

 

しかし、かなり無理をして外で「いい人」を演じるので、当然、帰宅後は

そのストレスが爆発します。

その爆発を引き受ける役目が私だったわけです。

 

でも、これは仕方がありません。

なぜなら、母は一家の大黒柱ですから、母がストレスで倒れては、

家庭が崩壊してしまいます。

 

しかし、その中で私が一番手こずったのは、母の素直じゃない性格でした。

その上、母は自分の祖母に育てられた人だったので、母親として、

自分が子ども達にどう振る舞っていいか分からなかったのではないかと思うのです。

 

また、末っ子で若干甘やかされたような所も、ありました。

 

たとえば、母がコーヒーを飲みたくなったら、必ずこういう言い方をするのです。

「ねえ、コーヒー飲みたくない?」

そこで私が、

「いや別に。飲みたくない。」

と答えると、

「せっかくお母さんが喫茶店に行こうと誘ってやってるのに!

もう誘ってやらん!」

と怒り出すのです。

 

最初から、「コーヒー飲みたいから、あそこの喫茶店に行こうよ」とは、

絶対に言わないのです。

理由は、恐らく、母自身の子ども時代の癖を、

ずっと引きずっていたからなんじゃないでしょうか?

 

 

しかし、この関係性は母が亡くなる10年前より変化します。

理由は、母の持病が悪化して体が弱ってきたからです。

 

それまで、「どうしてお母さんのことを分かってくれないのか!」

ということしか言わなかった母が、

「Spaceには厳しくし過ぎた。お母さんはSpaceの事を本当に大事に思っているよ。」

などという言葉が出るようになりました。

 

もしかしたら、自分が介護してもらわなければ、という打算もあったかもしれません。

それでも、今までの母からは絶対に聞けないような言葉でした。

私は、母の言葉に打算は一切ないと感じました。

 

そして決定的に母が変化したのは、亡くなる3年前です。

母は、色々あって片足を切断しました。

足を切断してすぐの頃は、親せきや妹が

「弱い事を言ってはいけない、もっと頑張れ!」とかなり強い口調で、

母を諭していました。

 

そして、母は彼らにはあまり強く言い返せなかったのです。

 

しかし、私には別でした。

とにかく私が来ると弱音ばかりを言っていたのです。

始めの内、私も「もうちょっと元気出して頑張らないと」と

言っていたのですが、その内、あんまり励ますとこの人は潰れるな、

と思ったので、ただ黙って母の弱音をずっと聞いていました。

 

そこから、直に母は立ち直ったのですが、

私に対して「非常に申し訳ない、悪いことをした」という言動が、

随所に表れるようになりました。

 

多分、親せきや妹たちに「あなたの為を思って、こんなに言ってやってるのに、

何で分からないんだ!」と、一方的にまくしたてられて、とても辛かったのでは

ないでしょうか。

 

そして…かつて私に対して、「Spaceのために言ってやってるのに、

どうしてお母さんの言う事を分かってくれないのか!」と、

言っていた時のことを、思い出していたんだと思います。

 

しかし、その1年後、母は認知症になってしまいました。

認知症の母とは、楽しい思い出だけしか残っていません。

 

なぜなら、母はとっても素直でかつ我がままな人になったからです。

というより、元来の母の性格に戻った、と表現した方が正しいかもしれません。

素直になった母との会話は、それはそれは楽しいものでした。

 

 

 

しかし、母は急に亡くなったので、私はなかなかそれを受け入れられず、

とても辛い日々を過ごしました。

そして、「お母さんを支えてあげなきゃ」という幼い時に刷り込まれたお役目を、

未だに大事に持っていた小さな自分がいたんだと思います。

 

 

 

そして、父の事です。

父は今から10数年前に首を吊って亡くなりました。

 

遺書はなかったので、はっきりとした動機は不明です。

 

母より、父は実家に帰ったとずっと聞かされていたのですが、

実はそうではなく、何と隣の市に一人で住んでいました。

 

私が成人した時、父に経済的な援助をしてほしいと、突然、市役所から通知があり、

母と父の事で大喧嘩しました。

しかし、社会に出たばかりの私はそんなにお給料ももらっていなかったので、

これを断りました。

 

そうすると、父は母が私に余計な知恵を吹き込んだ、と思い込み、

自宅の玄関先で、良く分からないことを喚き散らしたことがあります。

たまたま、その時家には私一人しかいなかったので、非常に恐ろしい思いをしました。

 

しかも、帰ってきた母にそれを伝えても、聞く耳持たずで、

その時初めて家を出る決心をしました。

 

 

 

父が首を吊った動機は、恐らく精神疾患の影響で、

その時の一過性の感情の高ぶりだと思います。

 

後で聞くと、父の実家は割と裕福で、月に幾らかの仕送りをもらっており、

趣味でゲートボールをするなど、結構悠々自適に暮らしていたようです。

 

葬式には父の友人も何名か来ていたので、働かないだけで、

全く社会生活が皆無ではなかったことが判明しました。

当時、私は死ぬ程頭にきたのを覚えています。

 

しかし、今になってみると、父は結局「大人になりたくない」と言って、

死んでいったようなものではないかな、と感じています。

 

 

 

とりあえず、両親との関係性をこうやって文章化してみて、

ものすごくすっきりしました。

 

私が母の感情の爆発を受け止めたのは、母を愛していたからであり、

また自分の生活を守るためでもありました。

 

しかし、それ以外の人の事は、ただの「爆発が趣味の人達」です。