こんにちは、Space-radです。
私のMCは射手座なのですが、そのサビアンシンボルが、
「寺院の左側にある物質的悟りをもたらすランプ」となっていて、
何の事だか、さっぱり意味が分かりませんでした。
ホロスコープ上でいう所のMC(medium coeli)というのは、
中天或いは中空の事を指すらしいのですが、
日本語にした途端、一気に強い仏教(又は神道)色を感じるのは、
私が日本人だからでしょうか?
coeliというのは、ラテン語なので、キリスト教的文化背景を考慮して、
ここでは中天(heaven)の意を取ります。
中天の漢字の成り立ちについて調べてみますと、
軍の中央に立てる旗=中
大(人を表す)の上に線を引いたもの(頭上)=天
とありました。
天の真ん中…、何だか、天之御中主命の事を連想してしまいます。
wikiには、「至高の存在とされながらも、信仰を失って形骸化した天空神」という
記述がありました。
天地開闢の時に、最初に現れた神であり、何もしなかった神…。
MCという言葉をネット上で調べますと、天職やライフワーク、
使命や目標といった単語がずらずら出てきます。
その中天には、何もしない神(天之御中主命)がいる、
やがて太陽が下降(ディセンダント)して、
その役割を月(月読命)に継承していく。
(ディセンダントには、門下生や子孫という意味もあるようなので、
継承というのは、あながち、当たらずといえども遠からず、なのかも?)
何となく、頭の中に思いついたイメージをそのまま言葉にしてみました。
夜の底にいるのは、何の神なんでしょうね?
話を元に戻します。
至高の存在でありながら何もしない神が、なぜ天職や使命を表すのか?
ところで、何もしない、というのは、相当難しい事なのではないかと思うのですが、
どうなんでしょうか?
体は休んでいても、あれこれ物を考えたり感じたりしますし、
お腹が空けば食事をします。
寝ていても、心臓は勝手に動きますし、寝返りをうったりもします。
ここでいう「何もしない神」というのは、本当にただ存在を有しているだけの神、
を指すのではないかと思うのです。
そこから転じて、「自分の性質を肯定も否定もせず、ただそこに居るだけ」なのだと
すれば、これは本当に難しい事のように思います。
何せ、「自己肯定」も「思考」も「感覚」も全部放棄しているのですから、
ある意味、「ありのまま」というのは、
生半可な気持ちで到達できるような代物ではないのかもしれません。
そうなると、MCというのは、天職や使命を表すというより、
「ありのままの私とは何か?」を読み解くためのサインではないのか?
という気がするのですが、どうなんでしょうか?