なんでもよし。

最早、何でも良い。

人嫌いじゃなくて、怖いだった。

こんにちは、Space-radです。

 

6月の頭に無職になり、そして今日仕事が見つかりました。

少し時間ができたので、ブログでも書いてみようと思います。

 

先週に英語で自分の過去に起った事を時系列に書いてみました。

(日本語だと恥ずかしい)

そして幼少の頃から神経症を頻発していて驚きました。

自分の体感覚では、もっと少ないと感じていました。

 

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よく生きてたなあ、私、とちょっと感動してしまいました。

 

そこまでは良かったのですが、実はその後が大変でした。

 

 

小学生の頃、人が怖くて学校以外の外出が一切できなかった時期を思い出したのです。

ずっと記憶の底に押し込めていて忘れていたんですね。

それの蓋が唐突に開いちゃったので、先日、自律神経の失調症状が出てしまいました。

 

私が自律神経失調症になったのは、2015年ころです。

母の介護と仕事での研修、レポート、夜勤回数の増加が全て同時期に重なって、

ダウンしてしまいました。

それから、生活が不規則になりすぎたり、ストレスをため過ぎると

失調症状が出るようになりました。

 

今はその症状が落ち着いたので、

少し自分の対人関係について考えてみたいと思います。

 

 

 

20歳の頃の私の夢は、山奥の大きな屋敷に

10匹の猫と共に人知れず暮らすことでした。

 

とにかく、他人と関わる事が苦痛でした。

 

その時の私は、自分が外出できなかったことなど忘れており、

ただの人嫌い、いわゆるコミュ章だと思っていました。

 

他人と一緒にいると、色んな感情や思考に自分が浸食されるといいますか、

埋没していって自分がなくなる、そういう感覚がありました。

 

ですから、自分とは全く価値観の違う家族と一緒に暮らすのは大変苦痛でした。

 

そして、今でもその感覚は健在です。

人込みにはできるだけ行きたくないし、少ない人数の人と関わるにしても

その中に少しでもネガティブな感情があると苦痛でたまりません。

結局、一人でいるのが一番の安全になってしまうのです。

 

昔は、そういう自分は本当にダメなやつだと、ずっと責め続けていました。

でも、最近になってそれはやめました。

シンプルに自分は弱い人間で、出来る事もあれば出来ない事もある、

と認める方向にシフトしたのです。

 

多分、私は俗にいうHSPというやつなのでしょう。

だから、人と違う感性があっても、一人でいる事を選んでそれに孤独を感じても、

それは全部自分なのです。

私がそう選択した、ただそれだけの事です。

 

けれども、やっぱり一人でやる事には限界があります。

だから、私には変わる必要があるのです。

自分自身のために。

 

そして、瞑想や塩風呂を始めました。

そうしたら、ずいぶん良くなったので喜んでいたのですが、

それでも今回は発作が出てしまったことにショックを受けました。

 

発作の後に、とにかくリラックスをしなくてはと思い、

ヒーリングミュージックを聞いたり、緑の多い公園でぼーっとしたりしていた時

ふと、お腹の底からこんな声が聞こえてきました。

「やっぱり人は怖いなあ」

 

10代になって、外出が普通にできるようになった時、

多分私は、人が怖い自分を心の奥底に固く封印し、

それを「人嫌い」に書き直したのではないかな・・・、

と今になって思います。

 

でも確かに、特定の人と親密になるのは、私にとっては大変な恐怖とストレスで、

時々他者の特別な好意に気付かないふりをしてしまう事があります。

 

 

どうして、私は人間が怖いのでしょうか?

 

確かに、私の出生は少し変わっています。

 

父は精神病を患っており、父方の家族はそれを狐憑きだといっては、

よく変な儀式をしていたようなのです。

 

そういう所に生まれてきました。

 

しかし、自分の記憶の中ではっきりと人が怖いと認識したことは

覚えていないのです。

 

今はまだ無理に思い出さない方がいいのかもしれません。

 

時が来れば、きっとそれも手放せるでしょう。