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スピリチュアルと宗教の関係性

こんにちは、Space-radです。

 

こんなブログを書いているので、どうしても「スピ系の人」と

認識されそうですが、私はスピのアンチや批判記事を

良く読みます。

 

私自身は、仏教色の強いものやシルバーバーチなどを好んでいます。

 

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最近、批判記事などを積極的に読んでいるせいか、何かと目に付くのが

「スピの人による、偽スピ批判」です。

 

「批判」というと、まだ穏やかな表現で、もっと過激な人は

「偽スピ撲滅運動」みたいなスローガンを提示している人達もいます。

 

 私が見たり聞いたりした限り、ここでいう「偽スピ」とは

「波動」

「ワクワク」

「神様や眷属」

「宇宙」

などのキーワードを

何の論拠もなしに語る人、

スピでマウントを取りたがる人

と捉えられているようです。

 

 

最近になって(約10年振り)、再びスピ系の人と関わっのですが、

上記のような人は多いと思います。

むしろ、10年前と何にも変わってないなあ、と驚きました。

 

 

 

ところで、このような運動がおこった背景には、

スピのアイコンになっていた人達による

長崎県壱岐市での事件や虐待を認めるような発言が

大きく影響しているようです。

 

公式ではありませんが、スピ被害者の会みたいなスレッドが

ネット上で散見されます。

 

今までのような調子でスピビジネスを続け、更に実害が出ると、

行政介入の可能性も考えられます。

 

何にせよ、内部告発という形であれ、色んなものがあぶり出されて

スピ業界全体がよりよい方向へ進むのは、とても良い事だと思っています。

 

 

しかし、一方で気になる事もあります。

 

強すぎる正義感により、スピがスピを裁く、という

奇妙なねじれ現象を起こしている感じを受けます。

 

最初は誰か1人が言い出した。

そして、その後何人かがその尻馬に乗った。

更に、何人かの人がその尻馬に乗った。

そういう風に見えなくもないなあ、とちょっと感じたのです。

 

 

 

そもそも、

「本物のスピリチュアリスト」って

何でしょうか?

 

「霊視」ができたら本物?

「宇宙」と繋がれたら本物?

「波動」が高かったら本物?

「宇宙語」が話せたら本物?

「根拠」があれば本物?

 

定義が曖昧すぎて、それぞれの持論がすれ違っているような気もします。

 

 

 

元々、スピリチュアルの発祥は、アメリカのヒッピー文化です。

ですから、

「スピリチュアル」は西欧の文化・歴史を

色濃く反映した物となります。

当然、キリスト教も無関係ではありません。

 

そこを押さえないでスピの話をするから、

こじれてややこしくなってしまうのではないでしょうか。

 

 

日本でスピが語られるとき、何故か八百万の神々やその眷属が

セットになります。

 

神道」と「スピ」の相性がいいのは、

どちらも「教義」や「経典」となるものがなく、

中空の存在

となっているからではないでしょうか?

 

神道にはキリスト教のような

「絶対的存在」が欠如しています。

天照大神」は、「八百万の神々の頂点」ではありますが、

キリスト教の神のような「絶対神」ではありません。

 

絶対神の存在は非常に厳しいものです。

努力で自分の人生を変える事はできない、

何故ならそれは神がお決めになった事だから、という塩梅です。

 

だから、

引き寄せの法則は、キリスト教に於いては異端です。

 

天照は、人間ごときが努力で運命など変えられぬ、とは言わないでしょう。

  

しかし、

神道」が「スピ」のように

「怪しい存在」になってしまわないのは

歴史的背景や文化が、

我々日本人にきっちりと

継承されているからだと思います。

 

しかし、日本では、スピが本来背負うべきもの(西欧の歴史的背景や文化)への

認識が薄いように感じます。

そして、そこを抜きにしてスピを語っても仕方ないと思うのです。

 

だからこそ、スピの話は時に途方もなく怪しくなってしまうのかもしれませんね。