なんでもよし。

最早、何でも良い。

存在欲求…?

何ですか、ロミオとジュリエットアメリカ風にデザインした、

「ナントカカントカストーリー」をディズニーでリバイバルするようですね。

 

その予告のCMで、「出会ってはいけない二人」という文言を見て、

「ああ、じゃあ、会うのやめたらいいんじゃないかな…」と思った私は、

基本的に恋愛ドラマを観る資格はありません。

(はなっから観る気もないので、何の心配もないのですが)

 

まあ、何というか「出会ってはいけない」っていうのは、

結局、「押すなよ!絶対押すなよ!」っていうフリと同じで、

「出会ってはいけなくもない(押しても良い)」環境に置かれたら、

特に何と言う事はない、ほのぼの系の日常ドラマになるような気がします。

 

 

先日、休みの日に良く行くお茶屋さんに行ったら、

何か凄い圧のある人たちがいました。

 

最初は何も気にしていなかったのですが、

注文を済ませて、一人でぼーっとしていたら、

その人たちの声が良く通るというか、大きいというか、

別に聞く気もないのに、自然と会話の内容が耳に飛び込んできました。

 

そうしますと、皆さんのエネルギーは高くてすごいだの、

あそこのパワースポットはどうだっただの、

と随分テンション高く、話していました

 

それを聞いて私は、「ああ、この人たち、自分達の話を周囲の人に

聞かせたいんだな」と感じました。

 

「ああ、この独特な感じ、腐女子のコミュニティに似てるなあ‥」

と、しみじみしてしまいました。

 

私自身もそうなのですが、スピリチュアル好きな人は、

オタクな傾向があるように感じます。

 

腐女子のコミュニティにも、似たようなテンションで、

「私らは、こういう趣味の持ち主です!」と、

周囲にアピールしたり、

「これだから、弁えない腐女子は‥」みたいな

苦言を呈したりしている人たちがいますが、

スピでも、「これだから、キラスピは…」みたいな風潮ありますよね?

 

スピのコミュニティは、見れば見る程、

腐女子コミュニティによく似ているように思います。

 

 

 

それにしても、何で関係ない人に(というか、むしろ無関係な人にこそ)、

自分の話を聞かせたいんだろうな?と、不思議に思いました。

 

始めは、承認欲求や自己肯定感が関与しているのかな、

と考えたのですが、どうもそれも違うように感じられて、

もっとそれ以前の存在に関する欲求に付随してるのかな、と思いました。

 

その喫茶店の人たちの会話を聞くともなく聞いていて、

「こんなに常識とずれた私」を、今まで隠して生きてきたのに、

あるコミュニティに属した途端、その欲求が暴発しているように

感じられたのです。

 

 

 

とりあえず、この話はまた後日、余裕があれば書いていきたいと思います。