なんでもよし。

最早、何でも良い。

劣等感をばねにして、努力するのはやめた。

とあるスピリチュアルサロンに入会しました。

 

今日は、その一回目だったのですが、

もの凄く緩くて、優しい雰囲気のサロンで、とても良かったです。

 

以前入っていた瞑想のサロンは、

視える・視えないで、変な派閥が出来上がり、

非常に殺伐とした雰囲気になって、嫌気が差したのですが、

今回はそんな事はなく、とても安心しました。

 

サロンが終了してから、ふと思ったのですが、

「今までの自分は、劣等感をばねにして努力してきたなあ、

これからはもっと緩やかに優しく生きていきたいなあ」と、

心の底から感じました。

 

 

最近、「正義とはこうだ!」と、

やたらと声高に発する人が目について、一体なぜなんだろう?と

ぼーっと思っていたら、

「劣等感をばねとして努力しているから、その結果として、

他人を裁きたくなる」のではないか、という事に思い当たりました。

 

病院勤務時代、私はそうやって一生懸命勉強してきました。

 

そして、当時はそんな事当たり前、と思い上がり、

勉強しない人を見下していました。

 

でも、それって、結局、某メンタリストさんのホームレスいらない発言と

大して変わらないよなあ、と思い至った時に、

本当に背筋が凍るような思いがしました。

 

 

 

「自分の女性性(母性)にプライドを持って生きねばならない」と、

急に神妙な気持ちになりました。

 

自分の中の女性らしさ(お喋りや仲間との情緒的な繋がり)を

無視して生きる事は、自分自身に大変失礼な生き方だと思ったのです。

 

私の牽牛星のプライドは、自分の「女性性(母性)」と、

どう向き合い、生きていくのか?という事なんだ、

と、やっと決心がつきました。