なんでもよし。

最早、何でも良い。

法隆寺に行ってきた。

そんなわけで、法隆寺に行ってきました。

 

毎回どこの寺社仏閣に行くにしてもそうですが、

特にこれといった目的や目標はなく、強いて言えば、

ストレス発散のために自然を求めた先に寺社仏閣がある、という流れが多いです。

 

今回も、法隆寺に何を見に行く、という目的もなく、

ただ気が向いたので出かけた、という程度のものです。

 

 

 

ただし、いつもと違ったのは、

「夢殿に行けたら、行く」と、漠然と考えていた事です。

 

私は、ものすごい方向音痴なので、事前に夢殿の場所を調べても、

100%、絶対に間違える自信があり、

できるだけ夢殿の事は深く考えないようにしていました。

 

ただし、今回も歩く事はストレス発散のために、とても重要だったので、

JR法隆寺駅からのルートだけはしっかり調べました。

 

スマホのメモに、どの改札から出て、

目印のお店を向かって左右どちらにして歩けばいいのか、

角を曲がる時には、何を目印にするか、など、

全部文章に落とし込みます。

 

そんな事をしなくても、グーグルマップを見ながら歩けば良いのでは…

と思われるかもしれませんが、電波の悪い所だと、

しょっちゅう表示がおかしくなって、何度か迷子になった経験上、

グーグルマップはあまり過信していません。

 

それに、一度文章化すると、記憶にも良く残るので、

多少手間でも、そちらの方が私には向いているのです。

 

 

 

調べてみると、法隆寺までのルートは3通りあったので、

自分が良いと思ったルートを選択しました。

 

実際に法隆寺駅から歩き始めると、あちこちに

法隆寺はこっちですよ」という目印があり、

それが、私が選んだルートではなかったため、

少し迷ったのですが、違う方を選ぶと、迷うリスクも高くなるため、

無視して、自分の選んだ道を行きました。

 

その結果どうなったかというと、

何と、夢殿の真ん前に出てしまいました。

 

「何だこりゃ」とは思ったものの、

とにかく着いたのだから、拝観料を払って入ってみました。

 

ところが、夢殿に安置されている仏像が拝観できるのは、

10月の中旬を過ぎてからで、今日は、

金網越しに夢殿の室内の様子を少し覗き見れる程度となっていました。

 

「丁度、真ん前に着いたのに、当てが外れたなあ」と思い、

近くのベンチに腰掛けて休んでいると、

中宮寺」と書かれた木札が見えました。

 

近くに行ってみると、聖徳太子の絵が展覧してあるというので、

昔、絵を良く描いていた事を思い出し、嬉しくなって中に入っていきました。

 

中宮寺の中はこじんまりしていましたが、

聖徳太子の絵は面白く、一通り見てから、

中央に安置されている仏像を見ました。

 

仏像を置いてあるお堂は、畳敷きになっていて、

ある程度、長居してもいいようになっていました。

 

私が行った時には、参拝客は私と併せて2人しかいませんでした。

 

ですので、その仏像のお顔を眺めるともなく眺めていたのですが、

その内、顔がちょっとてかり始めたような気がしました。

 

「光る」というより、本当に「てかる」という感じでした。

 

黒光りして、何だか妙に生きているような変な感じだなあ、

と思っていると、目の黒い所が、何となく鈍く光っているような気がして、

何か目が開きそうだな…嫌だなあ…と思っていると、

団体のお客さんが入ってきたので、そのまま外に出ました。

 

別に、何か邪悪な感じがしたというのでもないのですが、

何だか、妙な白昼夢を見たような、おかしな心持ちになりました。

 

しかし、良く考えてみると、気の遠くなるような長い間、

色々な人たちに拝まれたり、お経を読まれたりしている仏像なので、

何となく不思議な印象を受けるのも、当たり前なのかな、と思い直しました。

 

 

 

中宮寺を出た後、近くのカフェで休憩をし、

そのまま帰るにはまだ早いし、歩き足りなかったので、

法隆寺を越えて、法輪寺法起寺の方面へと歩きました。

 

しばらく歩くと、法輪寺が見えてきたので、そのまま入りました。

 

法輪寺も小さなお寺ですが、ここには十一面観音という、

4mの大きな仏像があり、ただただ圧倒されてしまいました。

 

他にも色々な仏像や遺跡が展示されていましたが、

とにかく十一面観音が目立つので、他の展示物は何も覚えてません。

 

法輪寺の十一面観音は、眺めていると、何だかとても落ち着いた気持ちになり、

いつまでも眺めていたいような気になりましたが、

近くに案内係の人がいて、とても長居できるような環境ではなかったので、

後ろ髪引かれる思いで出てきました。

 

 

 

帰宅してから、あれやこれやと調べてみて、

どうやら、今回法隆寺を訪れた意味はあったらしい、

という事はぼんやり感じましたが、

正直、自分の中では、それを文章化するレベルではないように思いました。

 

しかし、気が向けば、また何やら書く事にはなるでしょう。