なんでもよし。

最早、何でも良い。

無駄になる事とそうでない事。

以前、日本人の米離れが進み、米が余っているという報道を、

勤務先の老人ホームのテレビで見ました。

 

が、ネットなどで良く調べてみると、「米離れ」ではなく、

コロナ禍でお米を買えない人がいる、という情報が出てきました。

 

満足に食事が摂れない人がいる一方で、ユーチューブでは、

大食い動画で稼いでいる人もいます。

 

最早、「食べる」という行為そのものに、別な付加価値がつき、

変なブランドイメージがついているような気がしました。

 

 

 

ある日、勤務先の調理の方に用事があり、調理室に行くと、

30㎝程度のバケツに6割程の残飯(10人分作り、その内数人の食べ残した食事)

が破棄されているのを見ました。

 

びっくりして、どうしたのか聞くと、皆さん美味しくない、

と言って大量に残されるのだそうです。

 

それも、毎食、それなりの量が、残飯として発生しています。

 

さて、それでは、食事を残す高齢者は悪者でしょうか?

 

 

 

どんな物事でも、良く調べたり、話を聞いたりしていると、

意外と複雑な理由が隠れていたりするもので、

老人ホームで、毎回残飯が出てしまう主な理由としては、

経営者側の「高齢者の健康状態と食に対する充足感」の無理解、

があると思われます。

 

最近、割と良く聞くのが、「ホテルのような老人ホームを」という

スローガンですが、高齢者の事を良くご存知でない経営者に限って、

このようなスローガンを好んで使います。

 

一般的に、老化して寿命が近くなると、大抵の人は食欲が落ちます。

 

内臓や消化器官の機能が衰えるので、若い頃と比べ、

ある程度食欲が落ちるのは自然な事です。

 

残す人の話を聞くと、大抵は、

「お茶漬けと漬物とか、そうめんとか素うどんでいいのに」

みたいな事を仰います。

 

施設側も、メニューに気を配らなければ、という妙な義務感があるので、

鮭のマヨ焼きとか、回鍋肉とか、そういうちょっと変わったメニューを

度々出されます。

 

 

 

食に限らず、経営者側と高齢者での意識のズレ、は他にもあり、

「施設の人が何でもやってくれるので、動かないから、

お腹もすかないし、やる事が何にもなくて退屈だ」という話も

高齢者の方々から良く耳にします。

 

たまに、介護士さんが食堂で洗濯物を畳んだり、古新聞の仕分けをやっていると、

元気な高齢者が、わーっと集まって来て、仕事を貰っている事があります。

 

そして、終わると「他にやる事ないの?」と、聞いたりしています。

 

働き盛りの頃には、仕事ばかりでいやだなあ、などと思っていたのに、

と笑っている方もいらっしゃいます。

 

とにかく、日がな一日、食べて、テレビを見て、風呂があれば風呂に入り、

掃除もシーツ交換も、みんな介護士さんがやってくれます。

 

コロナ禍で、面会も気分転換の外出もできません。

 

衣食住には、何も困りませんが、成程、人間はパンだけで生きられる程、

単純なものでもないんだなあ、としみじみ考える事もあります。

 

 

 

かくいう私も、最近は「食べ放題」とか「ビュッフェ」とかいう言葉に、

あまり強い魅力を感じなくなってきました。

 

2000円で食べ放題に行くなら、量は一人前でいいから、

本当に美味しい物を食べたい、と思いますし、

そのために、普段は非常に粗食にしています。

 

酒も飲みませんし、おやつもほとんど食べませんが、

食べるなら、りんごや納豆、魚肉ソーセージが多いです。

 

食事は、休日に買い込んだり、作りおいたりしています。

 

冷凍食品は、たまに食べますが、マクドナルドのような

ファーストフードは、全く食べなくなりました。

 

浮いたお金は貯金したり、本当に使いたい所に使うように気をつけています。

 

 

 

数日前に、職場の若い人から、旅行に行きたいけどお金がない、

という話を聞きましたが、良く聞くと、

はしごもするので、1回の飲み会で1万円以上は使ってしまうそうです。

 

それを仮に週一回続けていれば、それは旅行に行く余裕はないだろうな、

と思いました。

 

感染対策をしっかり心がけていれば、飲みに行く事は悪いとは思わないし、

その人が本当に飲み会を大事にしているのなら、

そういうお金の使い方もありだとは思います。

 

しかし、話を聞く限りでは、その人が本当に行きたいのは、

旅行の方ではないのかな、と感じました。

 

本当に自分のしたい事・やりたい事に向き合うのは、

こうした時期を過ぎてからが、本当なのかもしれません。

 

 

 

話の矛先があちこちに向いてしまいましたが、

無駄をしてもいい事とそうでない事の線引きは、

ある程度の無駄を経験してからでないと、なかなかその判断基準がつきにくい、

いう事なのでしょうね。