前回、チャネリングができる・できないの判断は、
現実世界においては、できない、という記事を書きました。
個人的な配慮で、前回の記事内容は、抽象的に寄せたのですが、
もっと解像度を上げて書いた方がいいみたいなので、そうします。
神社仏閣でチャネリングをして、神様からのメッセージを掲載する、
というあるブログを、時々読みに行きます。
そのブログに掲載しているメッセージは、
「明るい気持ちで生活しなさい」とか、
「色々な事に熱心に取り組みなさい」とか、
「他人に親切にしよう」というような、
割と昔からよく聞くタイプのオーソドックスなものです。
ところが、最近になって、
「神様からメッセージをもらった事を、
ブログなどのSNSで自慢したいという参拝客が増えたため、
神様からメッセージを掲載してほしくない、と断られる事が多くなり、
チャネリングを正しくできない人は、やめてほしい」
というような事を、ブログに書かれるようになりました。
私自身は、このブログ主は、
「チャネリングできているかもしれない人」という位置付けで見てきました。
そして、この人が本当にチャネリングできているかどうか、
という判断を、残念ながら、私は証明する術を持ちません。
言うまでもなく、この人以外がSNSで掲載している、
「神様からのメッセージ」が、
実際に正しくチャネリングできているかどうかを、
正確に判断する手立てはありません。
極端な例を挙げると、正しくチャネリングできていたとしも、
「あなたは地獄に行きますよ」と平然と言うような人と、
実は、チャネリングが全然できていなくても、
「大丈夫、こんな風に考えれば、乗り越える事ができますよ」と言う人とでは、
どっちが本当の意味での「正しい」になるのかという事です。
「正しくチャネリングができている」という事に拘るのであれば、
「資格」や「証明書」を作って、「正しさ」を証明する事ができたのなら、
他人を中傷しても良い、という変な理屈になります。
また、そのような変な仕組みができれば、
不正をして儲けようとする人も出て来るでしょうし、
証明する機関との癒着につながるでしょう。
(実際には、そういう機関も存在しますね)
ここで問題になるのは、「正しくチャネリングできているかどうか」ではなく、
「SNSを通して、何を伝えたいのか?」です。
これがしっかりしていれば、チャネリングできる・できないという問題は、
関係ないと思います。
また、神様の側(?)で、メッセージを掲載してほしくない、
というのなら、それでいいのではないか、と私は思います。
神様側で、安易にメッセージを与えるのは、人間にとって良くない、
と仰っている、とこのブログ主もそう書いているのですから、
殊更、問題を大きく広げる必要はないように思います。
SNSで何を掲載するかは、個々人の自由ですし、
誰かを中傷したり、他人を不幸にする事は良くありませんが、
そうでなければ、大きな問題にはなりません。
そもそも、ブログにメッセージを掲載する事に、
神様側も望んでいたと、ブログ主は書かれているのですから、
その結果が芳しくない事については、
神様の方で引き受けるのではないでしょうか?