なんでもよし。

最早、何でも良い。

我慢しない事で、分かった事。

去年の夏ごろから、あえて言いたい事を我慢せずに、

いかに冷静に判断した上で、対象となる人物に、

どのような反応を返す(或いは返さない)のが、自分にとっての最適解か?

という実験をしてきました。

 

そこで分かった事は、我慢をしないという事は、

何でもかんでも自分の思い通りに支配する、という事ではなく、

お互いに最小のストレスで、自分たちが過ごしやすい環境を、

各々で作っていく、という事です。

 

 

 

自分も含め、比較的、子どもの頃から我慢や抑圧を強いられてきた人たちは、

この「自分で自分の環境を良くするために、様々な関係性や現象において、

交渉したり割り切ったり利用したり」する事が、

非常に苦手なのでは、と感じる場面が多くありました。

 

勿論、初対面で相手の本質を見抜く事は、至難の業なので、

ある程度付き合ったり、観察したりする事は必要です。

 

どういうタイプの人間なのかを把握し、

その上で、反応するのかしないのか、の判断を「自分で」

下す事が非常に大事である、という凄くシンプルな結論に至りました。

 

例えば、「Aさんには優しいのに、私には冷たい上司」がいた場合、

ここで一番重要なのは

「自分はその上司とどういう関係性でありたいのか?」であり、

「上司が自分やAさんをどう思っているかは、100%自分の人生には無関係」

である、という事です。

 

そこで「自分」が、上司との関係性を良くしたいと思うのであれば、

Aさんと上司のやり取りを観察して、自分の行動を変えればいいだけですし、

「そんな事をすれば、返って仕事に影響して良くない」と思うのなら、

必要なやり取りだけをし、淡々と仕事をすればよいのです。

 

とはいえ、なかなかそれができないから、

人間関係にまつわる悩みの種は消えないわけで、

では、どうすれば良いのかというと、

私の場合は、体の感覚が非常に薄かったために、

人間関係に煩わされる事が多かったのかな、と思いました。

 

 

 

実は、去年の12月から毎月、必ずどこかに旅行に行ってました。

 

旅館やホテルで出される料理というのは、

食材も食器も音楽も調理の仕方も給仕の仕方も、

いつも食べている物とは全く違います。

 

視覚的にも飽きないので、食べながら動画を観る事もなく、

また、食感や味覚も普段と違うように刺激されますので、

自然と「食べる」行為に集中します。

 

森の中を歩いて、この道は歩きやすいだとか、

下り坂は油断すると転びそうだとか、

寒いと思ってセーターを着こんで行ったら、思いの外歩き回り、

汗をかいて暑かったとか、川の水が冷たくて気持ちよいとか、

船の上で渦潮にぐらぐら揺られたり、強い潮風を受けたり、

温泉のお湯の温度が丁度いいとか、熱いとか、

そういう普段仕事と自宅の行き帰りだけをしていたら、

あまり感じない事をしていました。

 

それまでは、家でゲームをしたり本を読んだり、ゴロゴロしたり、

が基本だった私が、休みとなると、お財布事情と相談しながら、

色々と出かけていました。

 

最初は、瞑想でのグラウンディングを主体としてやっていたのですが、

どうも思考だけが活性化されるような気がして、その内瞑想はしなくなりました。

 

その内、気紛れで、今まであまりしなかった旅行をするようになったら、

普段とは違う方法で五感を刺激する事になり、

結果として、体の感覚が少しづつ戻るようになっていました。

 

 

 

ここで重要なのは、行動を変えたからといって、

すぐに現実が変わるわけではないし、

やり続けたい、と思っても、様々な障害が出て、

続けていく事が困難な事もあります。

 

そういう時には、いちいち逆らわないで、

工夫をすれば続けられそうなのか、とりあえず一旦保留にした方がよいのか、

自分でも考える必要性はあります。

 

私自身も、12月から毎月旅行に行っていたので、

今月はちょっと旅行はやめておこうと思っていたのですが、

ストレスの影響で少し体調を崩し、通っている整体の先生から、

今月は旅行に行かないのか?(行った方がいいよ)と言われたので、

まあ、行けない事もなかったので、昨日、淡路島に1泊してきました。

 

意外と、そんなものです。