以前、U2のボノ氏は、木曽義仲に似てる気がする、
という記事を上げましたが、
後日、我ながら随分変な記事を書いたな、とつくづく思いました。
妙に共通点があるように感じて、それを書いていきたいと思います。
最初に断っておきますと、私は洋楽には大変疎いです。
私の親世代が、所謂ビートルズ世代で、
この世代の人達からは、ビートルズの話を良く聞かされました。
(私の両親は、むしろ音楽そのものに無関心な人たちでしたが)
その影響で、私はビートルズやその周辺に付随した、
欧米の、特にロックンロールを、意図的に「聴かない」ようにしています。
実際、周囲の大人たちからは、
「またビートルズや欧米のロックの話か…」と
うんざりさせられた事は何度もあります。
そのため、かなり集中して意識しないと、
「洋楽を聴く」という行為は、あっという間にしなくなります。
話が逸れました。
1969年のアメリカにおいての、
ローリングストーンズとヘルズエンジェルズの関係性を
何かで見た時、私は漠然とこう思いました。
「鎌倉幕府が失敗してたら、オルタモントの悲劇みたいに
なってたんだろうか…?」
そもそも、「侍魂」に代表されるような、所謂「侍」というのは、
「武士」とは、明らかに違います。
学生の頃、日本史の授業で「武士」や「侍」について学びはしたものの、
一体どのくらいの日本人が、その違いについて覚えているのでしょうか?
「侍」というのは、単純に考えると、貴族のお世話係です。
特に、武芸に秀で、貴族の身辺を護衛する者を指す語ではありません。
反対に「武士」という語は、もっと自主的で軍事的な意味合いを感じます。
ここに加盟していると、「小京都」を名乗る事ができるようです。
「武士」という言葉は、この金沢市の取った行動に似ている、と思うのです。
「自分より偉い誰か」に自動的に仕えるのではなく、
「仕える・仕えない」「戦う・戦わない」は、自分たちで決める、
そういう心意気が、「武士」というもののように思うのです。
だからこそ、「加賀100万石」という言葉は、
現代日本においても、多くの日本人を魅了してやまないのだと思います。
…どうも疲れているようで、頭が回らなくなってきました。
話がどんどん違う方に流れていっています。
なんにせよ、この記事の続きはもう書かない事でしょう。