所謂、「占い」というものに傾倒している人の中には、
「人間ありき」ではなく、「星ありき」という考えをしている人がいるのでは?
というのは、ここ一年程の私の疑問です。
そんな時、ある方のブログで、占いを信じている人は、
「ホロスコープをアイデンティティにしている」という一文を見つけ、
ハッとしました。
俗にいう「地の時代」でもてはやされた存在証明というのは、
大企業の課長職や部長職であったり、教員や医師などの専門性の高い、
大きな集団組織に属した職業でした。
ここでいう「存在証明」を、もっと分かり易い言葉にすると、
「肩書き」です。
現在、もてはやされている肩書きが、「占い師」や「スピリチュアル何とか」という、
そういった精神性を優位に置いたものに、
どんどん変換していってるのではないか、と急にそんな事を考えました。
前時代でもてはやされた「肩書き」は個人の意識を消し、
ただただ、大組織に帰属する事をよしとした結果、
人の心や精神も物のように扱われました。
一方、現在もてはやされている「肩書き」は、
ひたすら「個人の自由と尊重」という精神性を追い求め、
肉体や物質を疎かに扱ったために、
生きる力が極端に弱くなっているのではないでしょうか。
生きる力が弱まっているからこそ、「何にもない自分」に耐えきれず、
さりとて、前時代のように分かり易い「肩書き」を手に入れる事も、
今の世の中は難しい、だから、一部の人間の間では、
「占いが存在証明」になる、というすごく変な現象が起きているように思います。
私自身は、占いは単なる「道具」としてしかみなしていません。
「私」という存在を、「肩書き」に全て預けてしまう事は、大変危険です。
使われて奴隷になるのは、「私」ではありません。
使われて、その真価を発揮するのが、「占い」という道具です。