なんでもよし。

最早、何でも良い。

自由の国の不自由さ

アメリカというのは、何とも変てこな国で、

あれだけ国外に向かって、自由の国であると大声で主張する割には、

建国時から、差別問題には事欠きません。

 

あの大きな国のど真ん中を貫く精神性の正体は、

一体何なんだろうか?と、ふと疑問に思い、調べてみました。

 

 

学校の世界史で習ったので、

元々はイギリスから来た人たちであるという事、

清教徒革命が関与しているという事は、何となく頭に残っていました。

 

そこで、非常にざっくりとではありますが、

当時のイギリスの歴史について調べてみましたら、

アメリカにやって来たのは、プロテスタントだという事が分かりました。

 

物凄く乱暴なまとめ方ですが、

当時の宗教的だか政治的だかの権力争いに敗れて、

アメリカに渡ってきたのが、イギリスのプロテスタントです。

 

そして、そのプロテスタントの思想が「神の前では人間みな平等」です。

 

しかし、この「人間」の定義が多分非常に曲者で、

「白人に限る」みたいな枕詞がつくんじゃないでしょうか…。

 

初っ端から、大嵐の予兆しかみえません。

 

プロテスタントの協議がいかような物か、私は全く存じ上げませんが、

要するに、その教義は恐ろしく時代遅れで、

いい加減今の時代に合うようにバージョンアップしないと、

時代に取り残されてしまう遺物なのではないでしょうか。

 

 

 

「自由の国、アメリカ」という言葉は、私が小さい頃から、よく耳にする言葉で、

別に珍しい物でも何でもありません。

 

しかし、改めて考えてみると、アメリカの何がどういう風に、

よその国と違って特別「自由」なのか、

あまりにも漠然とし過ぎてて、私には今一つ具体的にイメージできません。

 

私にとってのアメリカの最も強いイメージは、暴力です。

 

アメリカは確かに、よその国々に「自由の国」という枕詞を売り込む事には

成功したようですが、では、その自由の中身とは一体何なのか、

私には、未だに皆目見当がつきません。

 

アメリカに住んでいる人たちの、一体何%の人が、

「自分たちは自由だ」と心底満足しているのでしょうか?

 

制限があるからこそ、人は自分で考え、体を動かして、

色々なものを作り上げてきました。

 

何の制限もない状態で、平然としていられる人間というのは、

私はそんなにいないのではないかと思いますし、

果たしてそれが、絶対的な幸福だと、言い切れるのでしょうか?

 

アメリカはちょっと「自由」という事を、

美化し過ぎではないのか?と思うのは、私だけでしょうか。