なんでもよし。

最早、何でも良い。

子どもの心とは何か。

こんにちは、Space-radです。

 

今回は、「風の時代」についての再考です。

 

 

 

今更な話なのですが、巷で言われている「風の時代」というのは、

もう始まってるんでしょうか?

 

これからの時代、西洋占星術では「風」、算命学では「火」の表す

「伝達」能力が大事だとされています。

 

ですが、この風と火にはもうひとつ大事な要素があります。

 

それは「子ども(少年少女)の心」です。

 

ですから、今の様に「情報」や「伝達」という数字的な部分だけを

クローズアップしていると、どこか片手落ちになってしまうのでは、

と感じました。

 

 

 

その昔、私は「ポーの一族」という漫画を読んで、

感情移入できなかった記憶があります。

 

今にして思えば、「私が思う少年少女の世界」と

ポーの一族に描かれていた少年少女の世界」に大きな乖離があったからだと

思われます。

 

ストーリーはあまり良く覚えていないのですが、

確か最終的に大事な仲間を失って悲しむ、みたいな事だったと思います。

 

ごく個人的な感想ですが、「星の王子様」的な世界観…だったように思います。

(「薔薇がいなくなって悲しい」みたいな。)

 

私は「星の王子様」にも、あまり感情移入できなかったので、

私はこの2作品を、同じモチーフを描いた作品と、ここでは解釈します。

 

では、そのモチーフとは何かというと、

「とても大事にしていた子ども時代を失ってしまった、

悲しい大人のための物語」だと思います。

 

 

 

話は変わりますが、今日、私は近所のカフェで食事をしました。

 

そのカフェには、子どものためのスペースがあり、

何組かの親子連れが訪れていましたが、

本当に、子どもって元気ですよ。

 

呼び鈴がなかったので、こどもたちは大人の真似をして、

一生懸命店員さんを呼んでいました。

ですが、遊んでるだけ、と思われたらしく、店員さんが反応しません。

 

でも、へこたれないし、めげない。

 

最終的には、ちゃんと店員さんが来てくれていました。

 

 

 

…私が思うに、「子どもの心」ってそういう世界観なのではないでしょうか。

 

いわゆる「後悔」や「罪悪感」みたいなものとは一番遠い世界にあって、

「愛着のある玩具を痛みを感じながら手放し、他人を意識する生」を

生きるのではなく、

「大好きな玩具はそこにあって当然で、時間を忘れてその玩具で遊びつくし、

興味が失せればそれを手放す、その判断基準は他人ではなく、

絶対的な自己肯定感の元に成り立つ」という価値観が、

今一度問い直されているのかもしれません。

 

 

しかし、子どもの持つ自己肯定感は、それ単体だけでは非常に未熟で、

色々な経験を積む(社会経験をする)事で、

自分の中に内在する「子どもの心」を、

一度壊す行為が必要になってくるんだと思います。

 

その壊す行為の渦中にあるのが、

ポーの一族」だったり「星の王子様」の世界なのではないでしょうか。

 

そして、それを破壊した後に、

もう一度「子どもの心」を再構築する事ができたなら、

恐らく、谷川俊太郎氏の詩のような、

「強く、優しい子どもの心」を手に入れる事ができるのかもしれません。