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周波数(波動)を高くすれば、望む未来に行ける?

こんにちは、Space-radです。

 

シフトの都合上、月の始めは、いつも仕事がみっちり詰まりがちで、

半ばを過ぎてからようやく余裕が出てきます。

 

ブログのネタは何やかんやと思いつくものの、

日々の生活の中で流れていってしまうものも多く、いざPCを起動させてみると、

結局何を書きたかったのかと、しばし思案に耽る事も珍しくありません。

 

そんな折、以前よりスピリチュアル業界で度々取り上げられる、

「周波数(波動)を高くして、望む未来にシフトしよう」という言葉について

書いていきたいと思います。

 

 

 

「周波数(波動)を高くして、望む未来にシフトする」というのは、

元の元を辿れば、それは単なる「可能性」の問題ではないでしょうか?

 

 

 

例えば、ラジオで周波数を変える時には、ツマミで調整すれば簡単にできますが、

残念ながら、人間にはそんな便利なツマミはありません。

 

では、人間の周波数(波動)を上げるにはどうすればよいのでしょうか?

 

気分よく過ごす事?

人に親切にする事?

誰かの役に立つ事?

 

私はこの言葉を知ってから約1年半、

「波動を上げて、望む未来にシフトする」の意味を考えるともなしに考えてきました。

 

 そこで、最終的に行き着いた答えが仏教の「因果応報」です。

 

この「波動を上げる」というのは、端的にいうと、

「種をまく」という行為を指すように感じたのです。

 

だからこそ、「波動が上がる」と思しき言動(ひたすら感謝するとか)を

行っても、上手くいかないという事象が生じてくるのだと思うのです。

 

なぜなら、種をまいた(波動を上げると思しき行為をする)のなら

実や花が成るまでは、きっちり管理して育ててやらねばならないからです。

 

まきっぱなしで手入れをしてやらなければ、種はやがて死んでしまいます。

しかし、その逆で過剰に水や肥料をあげてしまう(根拠なしに

その行為をひたすら繰り替えす)と、種は腐ってしまいます。

 

そうなると、報(結果)は出現しません。(いい事にしろ悪い事にしろ)

 

稲を植えたのなら、米が育つように手入れしなければなりません。

朝顔を植えたのなら、花が咲くように手入れしなければなりません。

西瓜を植えたのなら、実が成るように手入れしなければなりません。

 

そして、種は無限にあるのではなく、その人にあった種(天命)を、

持って生まれてくるのではないか、と最近はそんな風に思うようになりました。

 

 

 

そんな事を考えるようになったのは、母の死がきっかけです。

私はずっと、母の人生について疑問に思う事がありました。

 

母は、60代の時にほとんど苦しまず、非常に綺麗な死に方をしました。

 

しかし…母の人生を思う度にいつも、「この人は何もない人生だったな…」と、

感じずにはいられないのです。

 

食べるのが大好きで、先の事をあれこれ考えるのが苦手、

そして、もの凄い学歴コンプレックスを持つ人でした。

 

最近、算命学でこの母の命式を出してみたのですが、

とても驚きました。

 

なぜなら、主星が「玉堂星」だったからです。

玉堂星が意味するところは、伝統とか学習とかそういう事らしいです。

sanmei-stock.com

 

私は、算命学は一年程前にその存在を知ったばかりで、

大変疎いのですが、それでもこの人の命式を見ていて、

分かった事が、

「母は自分の星を娘に丸投げして生きていたんだな」

という事です。

 

とにかく、勉強という勉強を自分はとことん嫌うくせに、

娘の偏差値とか通信簿とかをやたらと気にする人でした。

その上、母は、本は読んでも、せいぜい流行りの推理小説程度でしたが、

私は小学生の頃から本の虫で、特に中学からは古典にのめりこんでいました。

 

ちなみに、私の命式には玉堂星も龍高星もありません。

 

 

 

少し話が逸れましたが、結論として、

自分が持っていない種を育てる事はできないんじゃないかと思うのです。

 

ですから、「波動を高くすれば、どんな未来にでもいける」

(よく管理して育てれば、稲から米も朝顔も西瓜も何でも採れる)

のではなく、自分に最も相応しい作物をよりよい形で収穫できる可能性、

という風に考えた方が自然じゃないかな…と思います。