こんにちは、Space-radです。
先日対面である方と話をしたのですが、
その話の内容を理解できなかった時のことについて、書いていこうと思います。
その人の話で私が一番困った事は、「主語を飛ばして話しかけられる」事でした。
上記のブログ記事にも書きましたが、
たとえば昨日の午前中に「お目当ての石鹸が売り切れて困る」という話を
上司から聞き、その話はそのまま午前中で終了したとします。
そして翌日の出勤時に、突然上司に「あったよ!」と言われても、
言われた方は咄嗟には何の事だか分からない、という話です。
これと同じような事が起こりました。
ただ、今回話をした方はとても穏やかな方で、
私も何とか話を理解しようとしたのですが、結局はいらいらするだけで
話がちっとも前に進みませんでした。
ですので、途中で「私はこの人の話を理解できない」と諦めて、
とりあえず相手の話に乗っかって、適当に会話をする事にしました。
そうすると、ある瞬間に「あれ?この人が言いたい事ってもしかして…」と思い、
確認を取ると、物事の本質そのものずばりを突いて
話していらっしゃった事に気付きました。
主語のない話を聴くと、
私達の脳はどうしても自分の頭の中で「何が?いつ?なぜ?」を、
自動的に作ろうとしてしまうのかな、と感じました。
しかし、情報の少ない中での「主語のない話」は、
どうしてもその意図を歪め、自己に都合のよいように話を繋げてしまいがちです。
また、一度「この人の話は分かりにくい」という先入観を持つと、
その先入観を外して、
まっさらな状態で話を聴くのがとても大変なことを痛感しました。
私達は、普段「他人の話を理解するには寄り添う事が大事だ」と考えがちですが、
あまりにも至近距離になり過ぎると
「木を見て森を見ず」のような現象が起きてしまうのかもしれません。
だからこそ、他人の認知の歪みには気付けても、
自分の認知の歪みにはなかなか気付けないのでしょう。