なんでもよし。

最早、何でも良い。

感性の違う人の話をどう聴くか。

 こんにちは、Space-radです。

 

先日対面である方と話をしたのですが、

その話の内容を理解できなかった時のことについて、書いていこうと思います。

 

 

 

その人の話で私が一番困った事は、「主語を飛ばして話しかけられる」事でした。

 

dragon-cosmos.hatenablog.com

 

上記のブログ記事にも書きましたが、

たとえば昨日の午前中に「お目当ての石鹸が売り切れて困る」という話を

上司から聞き、その話はそのまま午前中で終了したとします。

そして翌日の出勤時に、突然上司に「あったよ!」と言われても、

言われた方は咄嗟には何の事だか分からない、という話です。

 

これと同じような事が起こりました。

 

ただ、今回話をした方はとても穏やかな方で、

私も何とか話を理解しようとしたのですが、結局はいらいらするだけで

話がちっとも前に進みませんでした。

 

ですので、途中で「私はこの人の話を理解できない」と諦めて、

とりあえず相手の話に乗っかって、適当に会話をする事にしました。

 

そうすると、ある瞬間に「あれ?この人が言いたい事ってもしかして…」と思い、

確認を取ると、物事の本質そのものずばりを突いて

話していらっしゃった事に気付きました。

 

 

 

主語のない話を聴くと、

私達の脳はどうしても自分の頭の中で「何が?いつ?なぜ?」を、

自動的に作ろうとしてしまうのかな、と感じました。

 

しかし、情報の少ない中での「主語のない話」は、

どうしてもその意図を歪め、自己に都合のよいように話を繋げてしまいがちです。

 

また、一度「この人の話は分かりにくい」という先入観を持つと、

その先入観を外して、

まっさらな状態で話を聴くのがとても大変なことを痛感しました。

 

 

 

私達は、普段「他人の話を理解するには寄り添う事が大事だ」と考えがちですが、

あまりにも至近距離になり過ぎると

「木を見て森を見ず」のような現象が起きてしまうのかもしれません。

 

だからこそ、他人の認知の歪みには気付けても、

自分の認知の歪みにはなかなか気付けないのでしょう。