なんでもよし。

最早、何でも良い。

アメリカが喉から手が出る程ほしい物。

こんにちは、Space-radです。

 

連日アメリカの大手企業の問題点について述べてきましたが、

その過程で思いついた事を気ままに書いていこうと思います。

 

 

 

今、アメリカ企業は世界中の富を貪り食うのに多忙を極め、

最も重要な事項が抜け落ちています。

それは、自分の足元がどんな風になっているのか?を、

確認できていないという事です。

 

2008年のリーマンショックに続き、新型コロナの煽りを受けて、

アメリカは経済どころか国の存続すらも怪しくなってきています。

 

そして、アメリカと日本の関係性を考えた時、

アメリカ国家が欲しくて欲しくて仕方がない物、

それは歴史と文化、そして技術ではないでしょうか。

 

 

 

アメリカが本土イギリスから独立宣言を果たしたのは、1776年の事です。

あれから245年が過ぎました。

245年という歳月は、国としてはまだまだ若い方です。

 

ですが、そろそろ250年という節目を迎えるに当たり、

いつまでも若者面をしているのは如何なものでしょうか?

 

 

 

人間は子供時代の発達段階において、度々「全能感」が出現します。

今までのアメリカは、まさにこの「全能感」をフルに活用して

国家運営を成し遂げてきたのではないでしょうか。

しかし時を経るにつれ、この全能感の幻想が敗れ去ろうとしているのが、

今この時のような気がするのです。

 

今まで、自分は全能だと思っていてけれど、

実はそうじゃなかった。

 

広い世界に出てみれば、自分よりも優秀で豊かな国家がたくさんある。

それを認められない、認めたくないと意固地になっているのが、

今のアメリカなのかもしれません。

 

だから、そのコンプレックスを埋めるためにたくさんの、

もっともっと多くの富を貪り続ける必要性があるのです。

自分たちで作りだした経済的豊かさという夢から、永遠に覚めないために。

 

その結果、アメリカ国家の内部で溜め込んだ富が腐敗し、

国中にその毒素が充満しています。

今、アメリカに必要なのは精神を高揚させてくれる興奮剤ではなく、

正気に戻るための鎮静剤です。

 

富を溜め込むのではなく、上手に流して活性化させることです。

 

 

 

アメリカにそれができるでしょうか?

代替え品としての経済的豊かさは、もう限界一杯に膨らんで、

これ以上の拡張は危険です。

 

歴史も文化も技術も、残念ながらお金で買うことはできません。

 

アメリカ国家が真に望む国家的豊かさを、

今問われているような、そんな気がします。