なんでもよし。

最早、何でも良い。

「話せば分かる」は、ただの幻想。

こんにちは、Space-radです。

 

特にここ一年くらいの話なのですが、話しても無駄だなあ、と思うような人が、

身近に数名現れました。

 

これは一体何なんだろう?とずっと考えていたのですが、

どうやら私自身の中に「自分を理解してもらうには、他人を理解しなければならない」

という思い込みがあり、それが「分かってほしい」という人を

呼び込んでしまったのではないか?とふと気付いたのです。

 

これは裏を返すと、私自身もまた「分かってほしい」という欲求が、

心の中に隠れていた、ということです。

 

では、どうすればいいのか?いうと、答えは非常にシンプルで、

「自分を理解することを最優先事項に置く」ことです。

 

 

 

高校生の時、あるニュース番組で中東のどこかの2つの国を衛星で繋いで、

代表者にリアルタイムで話し合ってもらう企画をやっていました。

 

その2人の代表者とは、対立する2つの宗教の教祖的立場にある人達でした。

宗教や国の名前は忘れてしまいましたが、最初から最後まで2人の話は

全く噛み合わず、途中で聞き役の日本人キャスターが、

「お互いに譲歩するという選択はできませんか?」と聞いた所、

「それは絶対にできない」と双方が答えたのです。

 

これを聞いた私は、「世の中にはこういう世界があるんだなあ」という感想を

持ちました。

腹が立ったり、いい大人のくせに…などという感情はなく、ただ、

一神教の世界って、何だか大変なんだな」とだけ思ったのを覚えています。

 

 

 

そこから私は何となく「話し合ってもダメな事があるらしい」と

思うようになったのですが、長い年月の内に、そんなことも忘れてしまいました。

 

いかんせん日本の大人たちは、子どもたちに対して、

「みんな仲良く、共存しよう」という価値観を前面に押し出したがるので、

私自身、知らず知らずの内に、その考えに固執するようになっていました。

 

しかし、中東の内戦状況おいては、

アメリカを筆頭とした西洋諸国が無理に立ち入ることで、更に泥沼化していきます。

 

翻って日本は、中東への参戦は非常に消極的で、湾岸戦争当時なんかは、

ずいぶん諸外国から叩かれていた、という話も聞きました。

 

ですが…数十年後、テロが頻発して起きた国家は主にどこでしょうか?

結局は「自分の正義」や「利害関係」を第一に掲げた国は、

中東との関係性は拘泥状態となり、

和平からは更に遠い世界へと、彼らを連れていきました。

 

 

 

ここから分かる事は、物事には白黒はっきりさせなければならない状況と、

そうでない状況を見極めることの大切さです。

何でもかんでも、きっぱり線引きをする必要はなく、

かといって、全てをのらりくらりと流していたら、

都合のいいように利用されるだけです。

 

これは適当にやり過ごす、ここでは自分の意志をしっかり表明する、

という基準を自分の中で決めておくと、人間関係で悩むことは少なくて済みます。

 

 

 

結論としては、「相手のことは大雑把に理解できればそれでよく、

自分のことはできるだけよく理解しておいた方がよい」ということです。

そうすれば、自分はどういうタイプの人と相性がよいか、ということも

理解できてくるので、相性が悪い人とは適当に付き合っておく、

という選択肢が増えます。

 

それから、人間関係を円滑にさせるために必要以上に心を砕くのは、

大変ばかばかしいことだとも感じました。

 

 

 

上司と相性が悪い場合は、まずそこを自己内省の材料として、

次に自分はどう動くか?を選択すればいいと思うのです。

 

要するに、自分の人生において選択するのも責任を取るのも、

最終的には自分でしかないのです。

 

選択肢を見極めたり、自分を理解することが困難だと感じたら、

その時こそ他人の力を借りればよいと思います。