なんでもよし。

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どうして求められてもいない助言を他人にしたくなるのか?

こんにちは、Space-radです。

 

今の職場に入ったばかりの頃、60代先輩看護師がしきりに

老害にはなりたくない」と言っておられました。

 

最初は特に何も思わずに、「そうなんですか」とだけ返していたのですが、

 その内、この60代看護師さんは、同年代の専門職員と話した後、

必ず「老害になりたくない」というセリフが出るのに、気付きました。

 

この専門職の方は、とにかく話が長いです。

入居者Aさんのことで相談に行ったのに、いつの間にかぜんぜん関係ないBさんや

Cさんの話に飛び火し、10分、15分取られることはざらです。

 

 

 

60代看護師は、「自分が急変や看取りに当たりたくない」という理由で、

食事や飲水が難しくなった利用者を、早々に医療療養型病院に送ってしまいます。

 

専門職の方は、それに疑問を感じていて、度々やんわりと意見をしていますが、

60代看護師は言い出したら聞きません。

 

病院に行く前に、施設でできることはあるのでは?と提案しても、

60代看護師はいつも「(自分が)対応できないからだめだ」の一点張りです。

病院に入院してしまえば、胃ろうや高カロリー輸液、酸素に尿のカテーテル

体に色々な管を入れられてしんどい思いで最後を迎えることが多いです。

 

私もこの専門職の方と同じ意見なので、やんわり意見しても、聞き入れません。

 

自分の意見を聞いてくれないから、60代看護師はこの専門職の方が

あまり好きではないのでしょう。

 

 

度々、この60代看護師が他のスタッフと言い合っているのを、

私は目の前で見てきました。

 

しかし、私はどちらか一方、または両方に対して、

「もう少しやんわりした口調で説明した方がいい」とは言いませんでした。

 

何故なら、それがたとえ明らかにルールを無視した会話術であっても、

強い言葉を使わなくては、相手に通じないことがあるのです。

また、たとえやんわりした口調で通じるようなときであっても、

人間は感情の生き物ですから、時に厳しい口調になってしまうこともあります。

 

 

 

できるなら、平和で穏やかな話し合いで済めば、それが一番よいでしょう。

 

しかし、厳しい言葉、強い言葉を相手に使ったのは、その人の意志で、

それを受け入れるか否かも、また相手側の意志なのです。

 

 

 

一番よくないのは、「求められてもいない全くの第三者が、突然助言をする」

ことだと思います。

 

私は、20代の時、これでたくさんの失敗をしました。

また、看護師になってからも、赤の他人の患者さんや家族さんに、

生活習慣や生活環境の変更について、

説明しなければならない場面がたくさんあります。

 

この中で私が最も気をつけていることは、

「求められていないことを、必要以上に説明しない」です。

 

勿論、看護師として必要と判断すれば、求められていなくても一通りの説明はします。

 

接客業の方であれば、みなそうだと思うのですが、

説明する相手は、自分より若い方もいれば同年代、年上の方など、

様々な年代の方について言葉や話し方を変えて説明する必要性があります。

 

時に強い言葉を使わなければならないこともありますし、

プライベートにおいても、強めの言葉を選択してしまう

ことだってあるでしょう。

 

だけど、それで間違いが起きたとしたら、本人たちが自分たちのやり方で

修正すればよいのです。

仮に修正しなかったとしても、それはそれで本人たちが選択した、

というだけのことです。

 

 

だから、現実の場においてもSNS上の場においても、

あまり物事を難しく捉えず、「ああ、よほど腹が立ったんだなあ」

と流せば、意外と問題は簡単に解決することだってあるのです。

 

私と60代先輩看護師のように、次に顔を合わせれば、

まるで何もなかったかのように、談笑していることだってあるのですから。