こんにちは、Space-radです。
昨日は職場の先輩に泣かれた話をしました。
そして、今日もまた私に向かって、良く分からない何かを爆発させました。
(泣かれはしませんでしたが…)
(私にとっては)とてもどうでもよいことで時間を取られ、
昨日に引き続き、物凄く疲れた一日でありました。
帰宅後、少し落ち着いてから、この60代の先輩看護師は
一体私に何を求めているのだろうか?と、ふと疑問に感じたので、
その辺りを書いていきたいと思います。
今日は、ある利用者さんの床ずれの処置をするために、
その利用者さんの自室に入ったところで、60代看護師に捕まりました。
内容の主旨は、私は全く理解できませんでした。
ただ、「Spaceさんの意見を聞きたい、相談をしたい、教えてもらいたい。」
という内容だったのはうっすら覚えています。
それにしても、そういう話は利用者さんの処置中にするのではなく、
もっと時と場所を選ぶべきなのですが、
そういう所が他人から敬遠される理由なんじゃないですかね、60代看護師さん?
60代看護師は、よくも悪くも感情的です。
良く言えば、世話焼き。
悪く言えば、お節介。
しかし、職場のスタッフのほぼ全員が「お節介」と言ってるのを聞いて、
客観性がないからそうなるんだろうな、と思いました。
実際、複数の看護師さんがこの60代看護師と揉めて、辞めていったそうです。
そんな中、ある介護士さんにこう言われました。
「彼女(60代看護師)、大変でしょ?他人との線引きできないから、
土足で踏み込んでくるんだよね。」
自他の区別が曖昧…。
これって、以前書いた「ワンネスの弊害」という記事と共通するなあ、
と感じました。
つまり、
私にとってよいことは、あなたにとってもよいこと。
私にとって正しいことは、あなたにとっても正しいこと。
私にとって悪いことは、あなたにとっても悪いこと。
これが全てなんでしょうねえ。
だから、
「オレンジジュース美味しいから、飲んで!」ってすすめて、
「いや、私はミネラルウォーターが好きなんで…」って断られると、
「ああ!否定された!!」ってなるんでしょうかね。
だから、冒頭で述べた
「Spaceさんの意見を聞きたい、相談したい、教えてほしい」
っていうのは、
「私とあなたは同じ人間だから、相違をなくしていく必要がある」
って意味なんじゃないでしょうか?
で、これをもっともっとくすぶらせて、腐らせてしまうと、
「呪い」になるのでは?とも感じました。
「自分と全く同じでない(思い通りにならない)から、
自他の相違を失くすために行っている行為の究極体が「呪い」だとしたら…?
この辺りに関しては、もっと深堀していくつもりです。
だから、やっぱり日本人はできるだけ個として独立(アイデンティティの確率)をして
自他の区別をつけることで、他人を尊重するということを
ちゃんと覚えないと、年取ってからこうなる、というお手本なんですかね。